実践しています。

up and ups just fine

1年経ちました

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改元とともにはじめたこのブログもあっと言う間に1年が経って、ここ数ヶ月も含めて1年は短いようで長く予想もしなかったことがたくさんあった。

そもそも、ブログを開設した一番の目的は信越五岳に向けてちゃんとトレーニングをするため。トレーニング習慣がロクになかった自分にとって走る練習を続けることが一番の心配だった。ランニングクラブに入って半ば強制的な走る装置をつくるわけでもなく、基本ひとりで走り続けるには工夫が必要だった。

そこで、聞こえはいいがセルフコーチングのような過程をブログにして、人様に晒す緊張感を常に持つことで練習を継続するシステムをつくった訳だ。

今となっては走っている状態の方が普通で、人間習慣化が上手く行けば何とでもなるものだと思うし、それは良い方向にも或いは悪い方向にも振れるので、緩めることなく前をみて走り続けている。

 

tomoyayazaki.hatenablog.com

 

習慣が変れば「継続は力なり」がそのままタフネスに変換されて、フィジカルレベルは確実に上昇している。一年前の今頃は10km走るのもまぁまぁ疲れていたものの、今じゃ10kmなんて練習にならないとアグラをかくまでになっている。ロードを3時間走り続けることへの精神的な免疫も獲得したし、同じスピードで同じコースを毎日走っていても飽きないメンタリティも備わった。たまには人と走りたい衝動がこみ上げることもあるけれど、大抵の場合は自分ひとりで走っている状態に居心地の良さを感じている。

「レース」という存在が日々の練習を続けるための原動力だった時は、ある種躁状態とも言えるような自信とか、前のめりな日々だったけど、それも過ぎてみると少し穏やかに、過ぎた景色を見渡す余裕が生まれて、これまで来た道と現在、その先の未来を改めて冷静に捉えることができるのもまた不思議。

次の「レース」という目標設定をしつつ、ただしそれは中間目標であることも理解しているのは成長した証だろうか。

 

tomoyayazaki.hatenablog.com

 

たった一年前の自分は「ケモノになる」ことを目標にしていて、それはそれで今ももってはいるけれど、たどり着きたい領域もこの一年、いやこの数ヶ月で刻々と変化している。

 

「ケモノになりたい」

端的に言うと自分が過去一番無心で走った瞬間がある。その瞬間はだれとも共有できないけれど、きっと山を走る人たちは誰しも得た感覚だと思う。あの瞬間は間違いなく最高だったし、狙って再現できるものじゃない。でも、だからこそ過去のベストを超えて、次のベストに出会うためにもっと高いレベルを目指す。僕らはそんな人種だったりするはずだ。

 

「自分の記憶を塗り替える」

わりと最近までは真剣に、そのことだけを考えて走っていた。その舞台としてUTMF2021を想定していた。信越五岳2019がいまの時点で最高点だとしたら、それを塗り替えるのは並大抵のことじゃないと思っていたし、それは主観であるが故に厄介だ。当日、賢く走るのは当然のこと、さらにドラマチックな展開がないといけない。だからといって結果だけよければ良い訳ではなく、スタート地点にたどり着くまでの過程をより重視している。とにかく、100点満点で自分を超える、それが日々のモチベーションだった。はい、最近までは。

 

「人間の限界はまだ先にある」

という圧倒的なパワーワードを放ったのはAnswer4の小原さん。UTMB2019で8位になって、今後の目標を尋ねられたインタビューでの返答だった。自分より速い選手がいて、彼らの登りや下りのスピードを目の当たりにして、人間の限界はまだ先にあることを実感した、というエピソードだった。これは突き刺さった。自分の限界という、主観の極みだった目標設定の自分には、人間の限界に挑むという発想すらなかった。逃げてる訳じゃないけれど、コンペティティブにトレイルランニングと接していないので、この言葉を聞いた時には別の世界を見せつけられたような、不意に殴られる思いだった。

 

高い壁を越えることに快感を覚える人種であるならば、さらにその高い壁を目標にしている存在が近くにいるならば、自分も目指す側でありたいと奮い立ったのはそのエピソードを何度も聞いている中でのことだった。

辿り着けるかどうか、現実的なのか、自分にその資格があるのか。そんなことはどうでもいい。目指すのか、目指さないかの二者択一なのである。そして自分は選択する。たどり着きたい。もう少し正確に表現するなら「触れてみたい」と言った方がいいかもしれない。

 

mountain-ma.com

 

もう一つ大きいのは、
「トップレベルの人はどんなスピード感で景色を見ているのだろう」
という「好奇心」です。
テレビだと「自分との闘い」みたいな発言が映像になってましたが、
なんというか、他人と競うためにイギリスに行ったというよりも、
トップレベルのアスリートの感覚に「触れてみたい」「覗いてみたい」というような感じです。
当然、そんな世界を垣間見るためには、
自分のレベルそのものを限りなくトップ近くに上げてく必要があるので、
それがモチベーションになり、日々の生活を律することにつながってるのかなと思ってます。 

 

STSの仲間であるクッチーさんが1月に参戦したSPINE RACE 2020 についてブログで触れていた。言わずとしれたミスターストイックのクッチーさん。何を原動力にトレーニングに打ち込んでいるのかずっと気になっていたいが、この文章を読んで強く共感した。

共感とはおこがましい物言いかもしれないが、自分自身「走る動機」が変化するなかで思うところはトップレベルのアスリートの感覚に「触れていみたい」という想いは強くなる。

さらに言うなら、そのスピードやタフネスを体験したい、と言うよりはもっと感覚的なもの。例えばヤマケンさんが言う「野生」であったり、「ゾーン」のようなものであったり、研ぎ澄まされた状態でようやく触れられる感覚に近づきたい。

 

 

youtu.be

 

例えば、Sergei Poluninのように、圧倒的なフィジカルをベースに表現ができたなら、それはどれだけ気持ちいいんだろう。

バレエのステージに立つために、振り付けを覚えて通しで演じることができるのは当たり前のことで、その先にある「表現」こそが舞台に立つ意味であるなら、例えば100マイルレースを想定通りの時間で走り切ることは前提であって、その先にある何かを「表現」することはできるんだろうか。

そんなこと考えながら、1ミリでも近づけるように日々走っている。