実践しています。

up and ups just fine

呪い/祈り



ライフスタイル、自分の周辺を取り巻くもの、趣味嗜好、その他あれこれ。単年単年でグラデーションのように変化していくものだと思っていたら、予想だにしない景色の変化を味わうことになった。オートクルーズで高速道路を運転してると、前方車両がレーンを変えた瞬間に、空白地点に向かって加速することがあるように、急激なギアチェンジを重力で感じたような一年だった。都心から車で自宅に帰るときは、八王子で降りて下道を使うことが多いが、道が空いている夜であればそのまま高尾まで高速に乗り続ける。八王子の料金所をくぐり抜けると、暗い二車線を山梨方向に進む。気を抜くとそのまま大月方面に走り続けてしまいそうな一本道に突如現れる圏央道への分岐を左折する。緩やかな傾斜を、オートクルーズはそのままの勢いで加速していく。厚木方面の看板に従って右折カーブに侵入する前にはブレーキを踏んで、マニュアルモードでアクセルとブレーキを使い分ける。うかうかブレーキを踏みそびれると、単独走をしている自動車は延々と加速しつづけて、猛スピードでカーブに突入してヒヤヒヤすることがある。そう言えば、本来車は「マニュアル」に対する「オートマチック」だったはずなのに、アクセルを踏まないことが「オートマチック」になるなんて、それは祈った末にやってきた現在なんだろうか。特段、車の操作そのものへの関心が薄い自分には楽に移動できることは歓迎すべきことではあるものの、気づけば自分が大切にしているなにかも楽さの波に流されてしまっているんだろうと思うと、これは見えない呪いの一種なのかもしれない。

 

 

呪い ー 走ること

間違いなく、走ることで人生は好転した。人の反応を気にすることなく、自分のリズムで生きていけることはまずまずな救いだろう。走っている瞬間は自分のリズムだけに集中する。このペースはどこまで続くんだろう。このペースが難しいならどんなリカバリーが取れるだろう。そんなことを考えながら日々1時間走ってきた。レースが近づけば夜通しペースに夢中になる。レースがはじまれば意識的に自分を意識する。見えている他者をリムーブする。何年も自分のペースに夢中になると、出力も距離感もバグってくる。気づいているけど体感値がエラーを出しているので、世の中のリズムにチューニングすることができない。不思議なもので、コントロールしているはずのスピードが、気付いた時には制御不能になることもある。ソリッドに、ソリッドに、「習慣化 ー 定着 ー 出力アップ ー 持続 ー 本番」を繰り返して、制御不能な車体がガードレールに衝突するように、2024年の信越五岳を途中でやめてから、走ること自体をやめてしまった。時期じゃない、って言い訳はあるものの、熱量というかイグニッションがうまく作動していないことは目に見えている。でもその変え方がいまいちわからない。同じ部品に交換してしまえば楽なんだけど、それは結局また衝突するまで猛スピードで動かしてしまうし、かといっていい塩梅のオートクルーズで満足できるほどのどかじゃない。結構、走ることは呪い的だ。呪いから逃げるために走り続けていてもいつか追いつかれる。そして呪いの正体を強く実感する。

 

呪い ー 構造

構造という都合のいい解釈がある。原理原則に基づいたり、構造に則って積み上げているつもりでも、たまに地盤そのものがユルユルなことだってある。基礎がしっかりしている場合はいいけど、実際そんなことってどの程度あるんだろうか。A = Bで、B = Cだったなら、AとCは等しくなる。構造的に成立していて、接着部がうまくくっついているときはそれで問題ないものの、脆い地盤、階層の差、単位の違いで設計ミスはいくらでも起こる。構造的で正しい思っていることほど、意外とそれが暴力的であることは少なくない。自分的に正しいと思って積み上げているものが、案外独りよがりでミスコミュニケーションになることは往々にある。かといって感覚的なものではたどり着けないこともまた往々にある。寛容や臨機応変のような話ではなく「曖昧さ」の許容は呪いを振りほどく大事なキーワードなんだろう。

 

祈り ー ノラ・ジョーンズ

たしか夏くらい、ちょっと疲れているときに出張先で外出するか迷っていた。その街に行くと必ず寄ると決めているゲン担ぎのような場所がある。仕事が終わってホテルに戻ると時間は21時で、普段ならそのままうたた寝を繰り返して深夜3時くらいに目を覚ますところが、重い腰を上げてひとまず外出することにした。駅のまわりだってのに、逆に駅のまわりだからなのか、ちょうどよく空腹を満たせる場所がない。おまけに雨も降ってきて、適当な店がないかそのへんを徘徊する。こんな遅い時間にも関わらず行列ができているラーメン屋に一度は並んでみたものの、待てる気がしなくて早々に最後尾から脱落した。何も食べずホテルに引き返そうかと迷った末に、バスにのって北東に向かう。楽しみで向かうというよりも、このまま一日を終えることが簡単に想像できる方を選ばずに、無理やり引っ張って何かがあるかもしれない方向に身体を押し出すことにした。何かに期待しているというよりも、意識してイヤイヤわからないものに寄せる気分だ。「Don’t Know Why」をバスで聞くと季節と雨に調和した。30分バスに乗ってから降りて5分くらい歩く。遠目からみていつもついている灯りがみえないから、今日は閉店かと思いながら近づくとそれはただの見間違いでいつもどおりやっていた。偶然にも、「Sunrise」がかかっていて、本当にただそれだけのことなのに、そういう瞬間こそが祈り的だと思った。

 

鱧 ー 祈り

鱧と書いてハモと読める人よりも、今なら魚豊と察する人の方が多いんじゃないだろうか。そんな自分もそのひとりである。車に乗りながら「怪獣」の解説番組を聞いていると、無性に「チ。」が読みたくなった。主題歌を聞いて原作を読みたくなるのは初めてのことだった。実際は行くことなんて絶対にないのに、漫画喫茶に行くかレンタルすれば安く済むのに、漫画を買うことにケチな自分にしては珍しく、すぐに全巻買って一気に読んだ。登場人物全員が呪われていて、同時に祈り的でもあった。いや、祈りの書だった。地動説を信じて証明することに囚われている。信仰とは、呪いと祈りの紙一重なんだろう。その後に読んだ「ようこそ!FACT」は不憫な主人公の渡辺くんが、とても自分のその頃のようで読んでいて複雑な気持ちになった。とても不十分な「論理的思考」を頼りに、でも結局は都合の良い解釈に流されていく。人は生まれながらに不平等であることと、そんな前提はどうでも良くてどれだけ変化できることがFACTなのであれば、これはおそらく祈り的だろう。だいたいのことは呪われていて、そしてたまに祈りがある。なんとなく、とてもなんとなくだけど、作者自身も呪われていて、呪いを解くために祈っている印象もある。

 

呪い ー なんとなく退屈だ

薄々感づいていたことが「暇と退屈の倫理学」にまとめられていた。この呪いの正体は「退屈」という言葉に集約されている。退屈から逃れるために、過激な方向にふってみる。走り続けて、加速して、隅から隅まで見渡せるように支配的になって退屈の入り込む余地をなくす。走ることが好きであることは、もちろんそうであるけれど肝心なことはそこではない、でも認めるわけにはいかないような歪さ。本の中ではハイデッガーによる退屈論が紹介されている。退屈には三つの形式があって、第一形式は「何かによって退屈させられていること」として、例えば延々と電車を待つような受動的に過ごさなければいけない状態を指している。第二形式は「何かに際して退屈すること」と、少し見当がつかない状態を言う。これは気晴らしで参加したパーティーが楽しめていないことを例としているが、欲しいものはないけどウィンドウショッピングをしてることに近いかもしれない。退屈と気晴らしが入り交ざってる状態を指している。これらに対して第三形式はもはや退屈から逃れられない状態を表している。暇だから退屈していることは当然で、暇だけど退屈していないこともあり得る。だけど暇はないけど退屈している不可解な状態に陥ることがある。これが第三形式の退屈で、ハイデッガーは「なんとなく退屈だ」と言い表している。この退屈に漬け込まれる隙を与えないように、ある人は仕事に集中して、ある人は裏山を走り続けるようだ。

 


ある疑問、違和感、囚われていることに気づいた瞬間、それは呪いにかわる。誰かに唱える呪文ではなく、自分に降りかかってくるものとして。体質、環境、生い立ち、人間関係とエトセトラ。急に発症する呪いもあれば、年月をかけて表面化するタイプも存在する。「なんとなく退屈だ」という呪いに、走るとはまた違った方法で向き合う必要がある。「なんとなく祈りだ」そんな気がしている。それは、不確かでぼやけた輪郭をしている、理論を積み上げたものではないし、偶然に出会う種類のもの。非目的的で、何かを期待するわけではない状態。でも続けていくことでいつか触れることができるかもしれないことがある。文字にすると牧歌的だが、ようやく一周まわってそんなものに価値が宿っている気がしている。そんなわけで、スタイルをかえて次のステージに行くことにする。

 

この post は   2025 Advent Calendar 2025 - Adventar 第24日目の記事として書かれました。

昨日の記事はnagayamaサン、明日はrealfineloveサンです。お楽しみに。

モチーフレス

 

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不慮の事故、想定外のアクシデント、バタフライエフェクトまたは偶然の産物。呼び方はなんでもいいけど、2021年の暮に呪いがかけられて以来、(12月に向かって)日々どう生きるかということが具体的になっていった。年末をピークに、徐々にのぼり調子で上がっていくというよりも、一度体感した年末のインテンシティを基準に、1月から通年で同じ負荷をかけ続けていくようなイメージだ。その世界には、クリスマスの高揚感もなければ、新年の清々しさがない代わりに、季節の移り変わりには敏感になる。春になれば花が咲くし、夏になれば身体に負荷をかけて、秋に発散して、冬にはフルスイングで文章を書く。

去年と今年のエピソードは明らかに違う。(あえて)ここには書かれない個別具体の体験とか、感情、たまにターニングポイント、そしてその年のベスト、一年生きるってことはその連続であることを実感させる。今年は何も無かったな、なんてことは年々起こらなくなってきた。自分という個体は選ばれなかったエピソードの集合体である、これが呪いの正体なのかもしれない。

同時に、ベストをベストとして表現しない種類の人間は具体と抽象を行き来する。これもまた、広義のアウトアンドバックと呼べるようだ。行って、返ってくる。昨日と今日にたいして違いはないけれど、連続したものをワイヤーでぐるぐる巻きに束ねるとそこには別の生物の存在が確認できる。

これはコンテクストではない。文脈が連鎖する円の中心にあたるもの、これをモチーフという。モチーフは強くて硬い。そんなすぐには変わらない。今年も、去年も、一昨年も、それ以前も、自分のモチーフは「偶然性」であったり「接続と切断」であったり、「身体と言語」である。そして、モチーフを表現する方法が真夏に与える身体への負荷であり、真冬の脳に刻む記憶のアウトアンドバックである。

そういう意味では、今年も、去年も、一昨年も、それ以前も、ほとんど同じことを繰り返し、たいして代わり映えのしないベストに着地する。つまり、偶然性と、接続と切断と、身体と言語にまつわるアレコレだ。

モチーフは強くて硬い。ただ、確実に変化する。注意して観察しないと見過ごされるほどゆっくりと。変化するということ、それは重心の位置が移動するということ。重心もすぐにはかわらない。表面的には気づかれない。それでも、移動が完了した瞬間、ターニングポイントを迎えた瞬間、雪崩のように一瞬で風景が変化する。これは自然の摂理である。贖えない、だからこそ観察する。

 

2024年の夏、30代の半ばくらいから共に過ごしてきたモチーフにクラックが入った。薄々、ちょっと脆くなってきたことは察知していた。このアプローチでどこまで行けるか、それは観察からも身体的な感覚からも、警告の手前の手前のそのまた手前くらいの、柔らかな助言くらいのボリュームでシグナルを発していた。

今年の夏は明らかに出遅れた。冬に痛めた足底の炎症が悪化して、立っているのもやっとだった。それなら座って休ませたいものの、四六時中立っていなきゃいけない状況が悪化をさらに加速させていった。おまけに、日々生きているだけでやっとなくらいに時間がない。寝て起きて働いてまた寝る。これを忠実に繰り返すことでなんとか生活が成り立っていた。

秋に控える今年のメインイベントのことはいったん意識せず、まずは怪我を治すことと、規則正しい生活を続けることに集中した。3ヶ月くらい文字通りに一切走らない期間を経て、徐々に長く歩くことから再開して、7月にはなんとか10kmくらい走れるくらいにまで回復した。たった数キロをゆっくりペースで走っては息が切れる。同じ人間の身体とは思えないほどに反応が鈍い。筋肉に力はなく、呼吸は浅く、酸素が循環するための毛細血管が発達していない。どの部位も自分を助けてはくれない。それでも、続けていくうちにだんだんと良い頃のイメージに近づいていった。10kmが15kmに延びて、そこに傾斜が加わって、ロードが砂利道にかわって、そしてトレイルへと変化していった。

8月になると週に3から4回は30kmを走っても回復する身体に成長していった。丈夫な身体は意識も強くする。走れることで自信が回復して、心は穏やかに、そして挑戦の可能性を現実の範囲まで手繰り寄せる。完走を意識しはじめた先には、より速く、より高く、徐々に超えるべきバーの自ら高くしていった。これこそが醍醐味であり、モチーフへの方法論であり、そしてクラックの正体だ。

大会当日は130km地点でリタイアした。70kmを過ぎて一気に身体が動かなくなって、あとはひたすらに歩き通した。その間、次のエイドで辞めることを考えて歩いては、到着すると「辞めます」と言えず、それが理由でまた次のエイドに向かって歩くことを続けて、最後は大雨と夜間という状況からリタイアを宣言した。この練習量と練習期間なら当然のことだと理解しつつ、もう以前には戻れないような気配もしっかりと感じた。明らかに時間が足りない。

しっかりと準備をする。積み上げて、細部まで丁寧に磨き上げる。そのうえで、当日何が起こるかは運に委ねる。これが「偶然性」へのベットであり、「接続と切断」であり、身体性の局地から生まれる言語の正体だ。このモチーフは高い負荷の完遂によって成立し、それは時間が土台になっている。土台が崩れて重心が移動し、ついに強固なモチーフにクラックが入った。

自分のモチーフの脆さの正体、それは身体を起点にアウトして、言語にタッチしてバックすることで獲得することができる、運動・行為・方法論の副産物であるということだ。運動を止めると血流が鈍くなって、モチーフはそのうちに腐ってただれて地面に落ちていく。

 

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モチーフが果実であるとするなら、収穫をするということは終わりが近づいているという意味でもある。はじめての実がなるまでは忍耐、実った瞬間に喜んで、同時にいつかくる終焉を意識しはじめる。モチーフの果実は3年は実るかもしれない、運が良ければ5年や10年はサイクルを繰り返すかもしれない。でも永遠ではない。つまり果実が実った瞬間から終焉ははじまる。

樹木はもっと長い時間をかける。昨日も今日も明日も、目に見えた違いはない。だから、その瞬間を生きるには爽快であると同時に、未来のことを考えると不安になる。はたして成長するんだろうか、とか。実るんだろうか、とか。

思い返せば20代はだいたい辛かった。良い思い出、愉しみ、エッセンスは色々あったけど、記憶の集積をボーリングすると、断片と断片の一番分厚い部分はだいたい不安とか辛さとか、そんなものばっかりだ。不安だけど自分がないからどっちに向かえば救われるのかもわからないし、不安だから足元の安全そうな場所をぐるぐるしていて解決にはならない。そして、そういう場所は慣れているだけで全然安全ではないのも常だ。

20代前半に良き大人からかけられた呪いの言葉は「前向きにあきらめる」だった。ないものを嘆いても仕方ないからあるものでなんとかしよう、可能性は無限大ではない、そんな風に捉えていて頭ではわかっているつもりでも、心情としてはあるものって言われてもそもそも何も持ち合わせていないし、わずかにでも可能性がありそうな方向すらわからなかった。だからといって衝動的に突き動かすような内在的な何かもなかった。流れに身を任せればまだ救いはあったかもしれないけど、度胸すらないから逃げ続けた結果に行き着いたどこか、というしかなかった。

ついた仕事は格闘技のような感じだった。毎日、ひとりの上司と対面で仕事をする。電話の受け答えを一言一句のがさず聞かれて(言葉で)ボコボコにされて、格闘技というよりはサンドバックのような状態だった。当時は許されたけど〜という前置きが成立しないくらいに、圧倒的なパワハラだった。逃げ出したいけど、行く場所もないから我慢をしつづけた。これもある種の逃げである。

その上司は空手をやっていた。身体が大きく、豪快な人間だった。よく空手に例えて説明をされたけど、格闘技の経験以前に生身で対峙する経験がない自分には、言葉でも感覚でも、言っていることがさっぱりわからなかった。その上司にかけられた呪いの言葉は「20代のうちになんとかしろ」だった。何をなんとかしろって全てなんだろうけど、振り返れば小手先や上辺じゃなく、自分の重心を作れってことだろうか。体重がどこに乗っているのか、身体を支える骨格は何でできているのか。今ならよくわかる。重心がなければ移動はできない。移動とは意思であり、意思の先にあるのが偶然である。

何年もサンドバック状態を経験しているうちに、物事には規則があることにようやく気づく。方程式ほど正確ではないものの、パターンとしての展開があることを知ると身体が自然に動くようになった。空手で言うなら型であり、ランニングで言うならメソッドだ。まずは型を身に着けよう、最初は護身のため防御かもしれないが、使い続けて動作を繰り返すうちに中心があることに気づく。それがつまり重心である。重心は意思が生むものとは限らず、案外動き続けている過程で獲得するものなのかもしれない。

あらゆるものはスキルではない、守破離なのだ。原理原則とも言える。真理であり、自然でもある。離れた先にあるものは、また次の生態系なのである。永遠に守破離を繰り返す。或いは車輪の再発明という人がいるかもしれない。ただ、大切なのは最初に発明することではなく、自分の力で獲得する過程なのである。

 

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1994年12月25日、朝起きると枕元には小さな包み紙が置かれていた。目を覚ましてワクワクしながら紙をちぎると、中から拍子抜けしたものがでてきた。正方形のプラスチックケースの内側に青い冊子。白い文字で「Mr. Children - Atmic Heart」と書かれている。前日に10歳になったばかりの自分にはアルファベットの単語が意味するものを一文字すら理解できなかった。理解どころか、ゲームボーイをもらえるものだと思い込んでいた小学生には嬉しくもなんともない、期待が急降下するプレゼントだったことを今でもはっきり覚えている。

そのアルバムは受け取ったままでしばらく一切聴くことがなかった。そもそも音楽を聴く習慣がなかったし、Mr. Childrenの存在すら知らなかった。今思えば、親は何を思ってそれを選んだのかすら検討がつかない。それでも、巡り合わせとは不思議なもので、翌年に転校した先では人気のアーティストで、まわりに流されるようにいくつかのシングルを聴くようになった。クリスマスの朝に受け取ったプレゼントが同じアーティストのものだと気づいたのは、それから少し経ってのことだった。

もちろん、歌詞の意味を理解する人生経験なんてない年頃なので、リズムが気持ち良い程度の距離感で、長く長く繰り返していくうちに養分になっていった。Atmic Heartには時代を反映したギラギラしたサウンドが多いなかで、「雨のち晴れ」だけは気楽と言うか、適度な人ごとのような塩梅で安心感があった。大人になるということは、雨のち晴れのような世界のなかで生きるんだと子どもながらに想像しながら、現実の世界には一瞬たりともそんな心地は訪れなかった。

Atmic Heartのリリースから今年で30年が経ったわけだ。あの朝、歓迎しないギフトを手に入れてからまる30年。気づいたら親になって、その年のリクエストを枕元を置いていく側になった。今年ではないけれど、きっと近い将来望まれないプレゼントを仕掛ける日がくるんだろう。その仕掛けはすぐには咀嚼されない異物として記憶の片隅にこびりついて、いつかどこかの瞬間に姿をあらわすトリックになれば良い。または、欲しくもなんともないモノが置かれた残念な記憶として流される可能性もあるかもしれない、それもまた巡り合わせのひとつだろう。これも、一種の呪いなのかもしれない。

 

2024年12月24日、幸運にも40歳になった。大きな事故もなく、災害も、疫病も回避して、運良く生き延びている。これくらいの時間軸で振り返ると、若い頃に抱えていた不安も、眼の前で見つかったクラックも、けっこうどうでも良かったりする。嘆いても仕方ないし、前向きにあきらめるしかない。いち個体としてやれることをやるだけ。できる限り丁寧に、目に届く範囲の隅々までやっておく。これまでに身に着けてきた型と、身体と言語を頼りにする。その先の結果、展開、あらゆるものは流れに身を任せる。偶然性に委ねる。結局そこに落ち着く。ただ、40代はもう少し自己完結から離れてみる。これが眼の前のクラックに対処するヒントな気がしている。

アウトアンドバックからコールアンドレスポンスへ。どこかに向かって投げたボールはなにかにぶつかって戻って来るかもしれない。いったきりになるかもしれない。もしもかえってきたときはもっと大きく投げてみる。また違った方法で偶然に身を委ねてみる。

笑っちゃうほど誰も来ない店内でひとり過去を振り返っていると、ぽつりぽつりとやってくる客がいる。コーヒーをだして、ちょっと話をして、帰る背中を見届ける。これもひとつのコールアンドレスポンス。無形のプレゼントとも言えるかもしれない。予期せぬ来客にたまに会えないこともある。それはいつかのコールアンドレスポンスなのかもしれない。インターネットからのコールと、リアルでのレスポンス。

昨日と今日はかわらない。きっと明日も来年もたいして違いはない。それでも、10年くらいが束になった時に振り返ると、その瞬間と今日この日には確かな違いがあるはずだ。

 

 

この post は 2024 Advent Calenar 2024 第24日目の記事として書かれました。

昨日の記事はbasteiサン、明日はrealfineloveさんです。お楽しみに。

荒地にむかう

 

100km, 6000m, 14時間

2023年の夏、例年以上に暑い日が続いた。朝の6時を過ぎると気温も湿度も、強烈な直射日光も望まない余計な負荷を身体に与えた。疲労の繰り返しでただでさえ辛いっていうのに余計なことはしないで欲しかった。それでも、カチカチに凍結する真冬の寒さと比べたら、早朝から明るく走りやすい真夏の方が気持ちは楽だった。

どうせ人の少ない時間帯だし、上半身裸で走ることが真夏の習慣になった。3インチのショーツ1枚で走っているとわずかに触れる風が気持ちよかった。無駄がないを通り越して、足りてない上半身を見下ろしながら走る。リズムよく自分の足が大腿四頭筋から膝、そしてシューズの順に視界に入る。左右、左右と繰り返される。

飽きもせず、同じルートを毎日走る。1つは通称Yellow gate、緩やかな上り基調の道を街外れの登山道に向かって進む。黄色と緑に塗られた車止めのゲートにタッチしたら、同じ道を今度は下り基調で戻る。もう1つは家から走って5分の里山。登って降りてをひたすら繰り返すシャトルランのトレイルコース。走る速度さえ抑えればどちらも大してキツいわけじゃない。ただ、毎日のこととなると、それも数ヶ月続けていると余力がなくなってくる。

8月、レースに向けた最後の仕上げは「100km, 6000m, 14時間」をクリアすること。それを4週間続けること。1週間で100km走ること、それは難しくない。1週間で14時間運動すること、難しいけど4週間限定ならなんとかしよう。そして6000m上昇すること、これが加わるだけで負荷を劇的に上げていく。近所の初沢山をひたすら登って降りてを繰り返す。上下運動の繰り返しで重力障害になるほどに。

早朝5時に疲労が蓄積して、日中は身体が軋むように鈍く痛む。寝ても疲れが抜けるわけじゃなく、起きた瞬間に一番疲労を感じる。そんな日々を繰り返す。これは続かないかもしれない、と一片も思わないのが不思議で、やると決めたら動き続けるだけという、オートマチックなモードになれば身体と心の分業が数字と疲労を積み上げていく。

動いているあいだ身体は刺激を受けて発展する。明らかに引き締まっていく脚は頼もしい表情をしている。ひとつの独立した人格でも存在するかのように振る舞い始める。例えば、一定のペースであれば平地でも傾斜でも、いつまでも無限に上体を運んでいくような余裕を感じる。動いている瞬間はこれまで溜め込んだ疲労をいっさい忘れて、永遠に動き続けられるような錯覚をする。イメージはできている。レース当日、スタートの合図が鳴ったら走り出して、安らぎと静寂のなかでゴールまで身体だけが動き続ける。気づいたらゴールしている、それを理想に日々のトレーニングを構築している。

身体が動いているあいだ心は心で発展している。走っているあいだは大抵、本番のことを想像したり、その瞬間のペースや調子について観察している。何が上手くいって、どこが課題なのかを整理してセルフコーチングのような、会話を永遠と頭の中で繰り返す。音楽を聞けば同じ曲を繰り返す。その曲に惹かれる理由を探しながら、自分の中の普遍性に結びつける。たまに昔の記憶が蘇る。

9月10日、総仕上げのトレーニングを無事に終えた。夜中から朝にかけて一人で裏山を徘徊する。適切と想定するペースの確認から、補給の頻度、ウェア・ギアからフィーリングまで、すべてに本番を想定してトラブルの種がないかひとつひとつをチェックしていく。すべての点検を終えた時点で、レースの完走を確信する。これまでで最も過酷なトレーニングをやりきった自信と充足感を得て、あとは本番まで身体を回復させるだけになった。

思い出話は青くて臭い、けど放つ

2005年2月、〈Esquire 日本版〉の「旅する写真家」特集の表紙は、たしかRyan McGinleyが撮った作品だった。トラックの荷台に乗った女性の髪の毛が、その速度を現すかのようになびいていて、圧倒的に自由なものを感じた。ちょうど一人旅に没頭していた時期で、「写真家」を気取ってカメラをぶら下げて彷徨っていた。今となっては青臭くて恥ずかしい記憶だけど、どう受け止められようと気にしない程度には、この20年弱で耐性がついてきた。

はじめてWolfgang Tillmansを知ったときも衝撃をうけた。〈View from Above〉と同じような写真を撮りたくて街を徘徊した。たいがい、上手く撮れたと思うようなものはヨーロッパの路上のようなすでに完成された景色を切り取った時だけで、少しの高揚感とそれ以上の虚しい感情が多くを占めた。

「旅」って言葉も青臭くて今では意識して避けているけど、それをしたかった源流は王道の沢木耕太郎だった。当時出入りしていた雑貨屋の店主から勧められて読んだ〈深夜特急〉で決定的に衝動が加速して、初めての一人旅でトルコに行った。初めての海外で、ひとり、そして無謀にも滞在期間は30日。英語は話せないし、ツテなんてなかった。

当時、一番安い航空券はアエロフロート・ロシア航空で、トランジットはモスクワのシェレメチェボ国際空港だった。薄暗いロビーで軟禁されているような気分のなか、イスタンブール行きの飛行機を半日待った。全く同じルートで日本から本国に帰省するトルコ人、それと数人の日本人学生と知り合って、イスタンブールについてからは中心部行きの電車に一緒に乗った。地下を走る電車がトンネルを抜けて地上に乗り上げた瞬間に広がった街の景色は今でもはっきり覚えている。きっとあればボスポラス海峡とその向こうに続く異国の景色が初めての海外体験だった。

「旅」をしていると毎日が一期一会で、同じような人間に「偶然」会っては別れてを繰り返した。その日何をするか、明日どの街に移動するかも自由で当時はそれが心地よかった。高い入場料を払って博物館に行かなくても、散歩をしているだけで新鮮だった。たまたま入る食堂で食べるものはどれも抜群に美味しかったけど、特にトマト煮込みをかけて食べるピラフは最高だった。

毎日が文字通り非日常だし、写真を撮ればどの瞬間も絵になるし、無条件に「偶然」を感じることができた。そんなことに惹かれて同じようなスタイルの「旅」を何回かしているうちに社会人になった。もちろん休みがないから長期旅行なんてできないので自然と「旅」には行かなくなった。でも一番の理由は上澄みだけを味見して消費しているような感覚が嫌になったんだと思う。

 

信濃、身体流々

2023年6月、長野県の木島平で開催されている〈奥信濃100〉を走った。当初は2023年のメインレース、1本勝負のつもりで考えていたのに、春先までろくに走ることができず練習レースとしてでることにした。練習レースという概念自体もう10年近く封をしていたから、そんな心持ちで100kmも走れるのか心配だった。おまけに練習を再開したばかりで、フィジカル的にはまったく期待できない。

振り返ると今年は奥信濃にはじまって、野沢温泉から湘南国際マラソン、そして年末の武田の杜まで、軽い気持ちで、それも自分にしては珍しいくらい多くの大会にでることができた。変化をつけたいという狙いがあったのはマンネリ化した訳ではなく、どこにたどり着くかわからないものに流されてみたかったから。自分を中心に狙いを定めた先に向かって積み上げていく没入感が一番だとわかりつつ、それだけでは足りなくなってきていることを感じていた。

例えば、最近はめっきり機会が減ったもののレストランに食事に行くときも同じようなことを思う。期待を裏切らないジャンル、お店、メニューがあるのはわかりつつ、その範疇にとどまってしまうことを避けるような感覚。そういえば、あまり好きじゃないと思い込んでいたインド料理というジャンルに連れて行ってもらった時に新しい世界に触れたような時のように。

原因は単純で時間がないから。やりたいことが明確だと、どうやって時間を確保しようか必死に頭を使う。結果、「選択と集中」に流れ着くのは自然なものの、何年も続けていくと集中の精度は高まっていくと同時に何かが細っていく感覚がしてきた。せめて集中している分野の中では再度選択肢を広げることがしたくて、たくさんレースに出るという最近やっていなかったことに手を出してみた。

信濃はギリギリの時間に前日受付を済ませて、ご飯を食べてからそのままスタート地点の目の前にある駐車場で車中泊をした。背面のシートを倒せばアウトバックは寝るには十分で、レース前日のケアなり睡眠の質なんて無視して車内でゴロゴロしているのが一人旅のようで新鮮だった。

朝になってスタート地点前に集まると知った顔がちらほら見える。トレーニングが全くできていないので気負いはいっさいなく、完走はできるだろうからどこまで脚が持つか確認をするつもりでスタートラインについた。序盤はゆっくりと走っていると、想像よりはやくハイライトになる高社山をむかえた。山頂にたどり着くと眼下が一面雲に覆われていた。

高社山を過ぎると、これも奥信濃らしさのある沢沿いを登り続ける。いくつか渡渉ポイントを超えて40kmを過ぎたあたりで気がつくと順位が6位まであがっていた。ペースを上げた訳ではないけど、不安定な地形を登り続けたことと、長距離を走る練習をしていなかったこともあり、疲労度としては70%をこえていた。

その後はひたすら我慢をする。歩きたいけど我慢して走る。ペースを落としたいけど我慢して維持する。休みたいけど我慢して動く。60kmを過ぎた頃にはクタクタだったけど10km続く林道の下りを我慢しながら走っていると、辛いながらも少しずつ回復していく感覚があった。あとは意地。不幸にも比較的早い段階で、入賞圏内に入ってしまったので、行けるところまでは我慢するつもりで動きつづけた。

結局、ゴール手前で1人抜いて最終的に総合5位でゴールした。そもそも身体ができていないなかで、そして100kmという自分にとっては難しい距離の中で思いがけない出来事だった。正直に言うと、震えるような喜びだった。我慢し続けて得た結果だったことと、埃を被った「練習レース」をしっかりと走り遂げることができたこと。何より、思ってもみない感情に触れることができたから。自分の頑張りに対してというよりは、身体と心を切り離したことによって、心が身体を祝福するような瞬間だった。

ゴールしてすぐに、コーチに電話した。

 

幡ヶ谷、阿佐ヶ谷、真夜中、ダークネス

2011年、今じゃ考えられないくらい小さなステージでアコースティックソロライブをしていた星野源。会場が弁天湯という吉祥寺の風呂屋だったので、天然のリバーブで聴いた〈ばらばら〉は自分の中では数少ない「間に合った」エピソードかもしれない。決してハイな側じゃないし、むしろロウなライブでも会場には確かな一体感があった。ファーストアルバム〈ばかのうた〉そのものが、手の届くような四畳半的な世界観だったこともあるはずだ。

映画〈69〉で「指紋の無か中村」役をやっていた俳優が、SAKEROCKのフロントマンだと知ったのは随分先のこと。SAKEROCKをメインにしながらソロ活動をはじめた経緯を、歌いたかったと言っていた覚えがある。下北沢の地下にある小さなステージの上に立つ彼と、バンドの音楽、ソロデビューアルバムの世界観がすべてひとつの円のなかにあるような印象を受けた。

自分としてはずっと〈ばらばら〉が持つ引力が強すぎて、その方向を求め続けているようなところがあった。それは古参のファン特有の占有間ではなく、内面の代弁でもなく、純粋に言葉が好きだった。ちょうど〈LIGHTHOUSE〉で、「あの(音楽的な)方向で、あれ以上の曲は無い」と語っていて、ずいぶん長く喉にひっかかっていたものが流れ落ちた。

独自のヒップホップ的表現として製作された〈湯気〉から、いつのまにかストレートな〈さらしもの〉に変化したり、マイケル・ジャクソンへのリスペクトが溢れる〈SUN〉から、言葉も音も多様な〈アイデア〉は完全な独自の世界になっているように感じた。

これまでリリースされた曲の変化を時系列に捉えながら、〈so sad so happy〉を補助線的に聞くとさらに奥行きが出てくる。おそらく昔から好きだっただろう世界観から、現在の星野源をインスパイアする楽曲まで、プレイリストタイトルそのままに「喜」と「哀」がつまっている。ユーミンの〈シンデレラ・エクスプレス〉からサンダーキャットの〈Blackkk〉に曲がつながるなんて、一体どんな感性がそうさせるんだろうか。

振り返るまでもなく自分の20代半ばから現在に至るまで大きな影響を受けたのは、どことなく親戚のお兄ちゃんの背中を眺めているような部分があったりすることと、好きなことに対する純粋さからだろうか。当時、いろんなバンドのライブに出入りしながら、ライブが終わるとたいてい激しい興奮とどこか虚しさがあった。星野源の音楽には小さくて、じんわりと温かいものが身体の中に残っている感じがした。

 

肉と血と、身体と言葉

2023年9月23日、午前4時。小雨のなか〈上州武尊スカイビュートレイル128km〉がはじまった。少しだけ考えたものの、迷ったら安全な方を選べというウルトラの鉄則から濡れ対策でシェイクドライを羽織っておいた。こういう選択のひとつひとつが自分らしさの断片であり、断片の集合体が「完走」を約束させていく。完走のために「安全」に行こうではなく、「当たり前」をやり切る。

山を走る誰しもが一度は体験する「野生」の開放から、今の自分の基礎ができたのは2019年頃だった。子どもが週末の習い事をはじめることが決まって、山に走りに行くという「可能性」は自分の中で完全に消滅した。もともとあって無いような可能性だったが、少なくとも毎週土曜日は習い事の送迎が固定になるので、たまには遊びたいという願望は完全に消し去ることにした。

可能性を「可能性」のまま残さないということは当時の自分にとってはそれなりの決心だったし、「前向きに諦める」という考え方のターニングポイントだった。習い事の前後にできるようなことからもう一度やり直すことに決めて、まずは走る週間を取り戻すことから着手した。いくつかのテキストを読んで、当時の自分に一番相性の良さそうなトレーニングを取り入れた。週に5回、距離や強度は気にせずに、まずは回数を重ねることを意識した。苦手な早起きを克服して、早朝のランニングが習慣になった。春にはじめたトレーニングは夏をむかえる前には板についていた。

その年に完走したロングレースの直後に、子どもの習い事の発表会があった。バレエ、子どもがはじめるまでは全く関わりがないものとして生きてきて、発表会を観るまでは子どもの引率程度に考えていた。その舞台は大人から子どもがひとつの作品を一緒に作っていた。そこで初めてプロのパフォーマンスを観たときは衝撃だった。

僕らは完走を目指してウルトラディスタンスに挑む。完走が手に届くようになれば、今度はタイムを意識するようになる。だんだんとペースがあがり自己ベストの更新に挑むようになる。バレエに限らず舞台において、振り付けをこなしていくことは当たり前で、その先にある表現力で観衆と対峙する。スポーツとアートという違いはありながら、どちらも高い身体能力を使っていながら価値軸がこうも異なることに驚いた。時間をかけて本番に向けて準備をするというプロセスが似ていることが目的の違いを一層際立たせた。

当たり前のように動き続けられる身体に整えること。とっさのトラブルにも対処できる準備をすること。スタートの合図からゴールラインを越えるまで、自意識すらなく身体が動き続けることを理想として、本番で表現をする「旅」がこのときからはじまった。

準備段階から本番のペースを身体に覚えさせること。最もリスクの低い補給方法を確立すること。何より、本番から逆算したトレーニングによって身体をつくること。あとは当日、準備した通りに動き続けるだけ。無用な負荷をかけなければ意識は溶けて身体だけが動き続けることを信じる。その瞬間がやってくることは経験から知っている。ただ、願わくば最初から最後まで、あるいはできる限り長く続けることは本番でしか確認することができない。

 

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中間地点のオグナほたかスキー場にたどり着いた時にはまだまだ余裕だった。上手く意識と身体をコントロールできている手応えがあった。疲労は最小限で、補給も問題ない。ドロップバッグから取り出したジェルをザックにつめてすぐにエイドを出発する。ここから更に出力を上げる余裕があった。
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バレエ的に走ることを意識してから、ランニングとの向き合い方が一気に変わった。競うことにも誰かと比較することにも興味がなくなって、自分の心の中に芽生えた美意識を身体で表現することだけになった。人と走ることにもほとんど興味がなくなったし、繋がりは求めなくなった。真空のような状態が一番心地よく、ルーティンを磨くことに集中した。表現と言っても誰かに何かを伝えることを目的にしていない。かたちのない抽象的な美意識を具体的にしていくだけ。

走ることがバレエ的であるなら、文章を書くことはヒップホップに近い感じがする。ハードなトレーニングは肉体を形成する。屈強な肉体を求めて負荷をかける。負荷をかけると肉体に血が巡る。血が溢れると言葉になって身体を飛び出す。誰かに伝えるためではなく、自分のために思考を整理して言葉を整える。肉と血が、身体と言語が接続される。

 

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真っ暗ななかで最後の山塊をこえていく。ここまでくると流石に全身疲労している。とは言え完走はほぼ手の中にあり、それなりの結果も現実的になってきた。まだプッシュする余裕もある。実際にしっかりと走ってみる。確かに身体は動く。ゴールはもうすぐだけどまだまだ動く自信がある。これが求めていたパフォーマンスなのか考えながら最後の下りを走る。

山から抜けると街灯がまばらに続く。何度か道路を直角に曲がると急に目の前が明るくなる。最後のストレートで全力を出す。自分でも感心するくらいしっかりとしたストライドで、ゴールに近づいていく。そのまま止まらず、余韻に浸ることもなく、全速力のままゴールテープを切った。
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自慢できるほどの結果じゃないものの、自分の中では関心するほどレース全体をコントロールすることができた。まさに準備の賜物であり、これまでのイメージにようやく到達した手応えを得ることができた。スタートからゴールまでとは行かないものの、集中を続けて128kmを走り切ることができた。

ただひとつ、予想外に味気なかった。

ここ数年、心の内にある理想を求めて積み重ねてきた。今年の夏は今までで最も過酷な準備を乗り越えた。そもそも何がしたいのかよくわからなかった20代前半からはじまって、走ることで自分なりの表現方法を得ることができた。続けることで美意識が構築された。楽器は弾けないし歌は歌えないけど、生身と言葉で表現をする度胸がついてきた。

ようやくたどり着いたゴールは思っていたものと違っていた。ゴールしてみて何か物足りなかった。何が足りないかはすぐに気づいた。足りなかったものに触れるために次の荒地にむかうことにする。

ゴール直後に感じた味気なくて物足りなかった感情は、じわじわと新しい発見に変化していく。振り返れば20年分くらいの景色が地続きで、そしてその日は振り返るには絶好の日だった。自分のことがわからないという得体の知れない恐怖に追われる訳ではなく、行き先がわからないわけでもない。




この post は 2022 Advent Calendar 2023 第22日目の記事として書かれました。

昨日の記事はmactkgサンの〈ベスト・オブ・2023 - 半空洞男女関係〉でした。

明日はまとさんです。お楽しみに。