モチーフレス

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不慮の事故、想定外のアクシデント、バタフライエフェクトまたは偶然の産物。呼び方はなんでもいいけど、2021年の暮に呪いがかけられて以来、(12月に向かって)日々どう生きるかということが具体的になっていった。年末をピークに、徐々にのぼり調子で上がっていくというよりも、一度体感した年末のインテンシティを基準に、1月から通年で同じ負荷をかけ続けていくようなイメージだ。その世界には、クリスマスの高揚感もなければ、新年の清々しさがない代わりに、季節の移り変わりには敏感になる。春になれば花が咲くし、夏になれば身体に負荷をかけて、秋に発散して、冬にはフルスイングで文章を書く。
去年と今年のエピソードは明らかに違う。(あえて)ここには書かれない個別具体の体験とか、感情、たまにターニングポイント、そしてその年のベスト、一年生きるってことはその連続であることを実感させる。今年は何も無かったな、なんてことは年々起こらなくなってきた。自分という個体は選ばれなかったエピソードの集合体である、これが呪いの正体なのかもしれない。
同時に、ベストをベストとして表現しない種類の人間は具体と抽象を行き来する。これもまた、広義のアウトアンドバックと呼べるようだ。行って、返ってくる。昨日と今日にたいして違いはないけれど、連続したものをワイヤーでぐるぐる巻きに束ねるとそこには別の生物の存在が確認できる。
これはコンテクストではない。文脈が連鎖する円の中心にあたるもの、これをモチーフという。モチーフは強くて硬い。そんなすぐには変わらない。今年も、去年も、一昨年も、それ以前も、自分のモチーフは「偶然性」であったり「接続と切断」であったり、「身体と言語」である。そして、モチーフを表現する方法が真夏に与える身体への負荷であり、真冬の脳に刻む記憶のアウトアンドバックである。
そういう意味では、今年も、去年も、一昨年も、それ以前も、ほとんど同じことを繰り返し、たいして代わり映えのしないベストに着地する。つまり、偶然性と、接続と切断と、身体と言語にまつわるアレコレだ。
モチーフは強くて硬い。ただ、確実に変化する。注意して観察しないと見過ごされるほどゆっくりと。変化するということ、それは重心の位置が移動するということ。重心もすぐにはかわらない。表面的には気づかれない。それでも、移動が完了した瞬間、ターニングポイントを迎えた瞬間、雪崩のように一瞬で風景が変化する。これは自然の摂理である。贖えない、だからこそ観察する。
2024年の夏、30代の半ばくらいから共に過ごしてきたモチーフにクラックが入った。薄々、ちょっと脆くなってきたことは察知していた。このアプローチでどこまで行けるか、それは観察からも身体的な感覚からも、警告の手前の手前のそのまた手前くらいの、柔らかな助言くらいのボリュームでシグナルを発していた。
今年の夏は明らかに出遅れた。冬に痛めた足底の炎症が悪化して、立っているのもやっとだった。それなら座って休ませたいものの、四六時中立っていなきゃいけない状況が悪化をさらに加速させていった。おまけに、日々生きているだけでやっとなくらいに時間がない。寝て起きて働いてまた寝る。これを忠実に繰り返すことでなんとか生活が成り立っていた。
秋に控える今年のメインイベントのことはいったん意識せず、まずは怪我を治すことと、規則正しい生活を続けることに集中した。3ヶ月くらい文字通りに一切走らない期間を経て、徐々に長く歩くことから再開して、7月にはなんとか10kmくらい走れるくらいにまで回復した。たった数キロをゆっくりペースで走っては息が切れる。同じ人間の身体とは思えないほどに反応が鈍い。筋肉に力はなく、呼吸は浅く、酸素が循環するための毛細血管が発達していない。どの部位も自分を助けてはくれない。それでも、続けていくうちにだんだんと良い頃のイメージに近づいていった。10kmが15kmに延びて、そこに傾斜が加わって、ロードが砂利道にかわって、そしてトレイルへと変化していった。
8月になると週に3から4回は30kmを走っても回復する身体に成長していった。丈夫な身体は意識も強くする。走れることで自信が回復して、心は穏やかに、そして挑戦の可能性を現実の範囲まで手繰り寄せる。完走を意識しはじめた先には、より速く、より高く、徐々に超えるべきバーの自ら高くしていった。これこそが醍醐味であり、モチーフへの方法論であり、そしてクラックの正体だ。
大会当日は130km地点でリタイアした。70kmを過ぎて一気に身体が動かなくなって、あとはひたすらに歩き通した。その間、次のエイドで辞めることを考えて歩いては、到着すると「辞めます」と言えず、それが理由でまた次のエイドに向かって歩くことを続けて、最後は大雨と夜間という状況からリタイアを宣言した。この練習量と練習期間なら当然のことだと理解しつつ、もう以前には戻れないような気配もしっかりと感じた。明らかに時間が足りない。
しっかりと準備をする。積み上げて、細部まで丁寧に磨き上げる。そのうえで、当日何が起こるかは運に委ねる。これが「偶然性」へのベットであり、「接続と切断」であり、身体性の局地から生まれる言語の正体だ。このモチーフは高い負荷の完遂によって成立し、それは時間が土台になっている。土台が崩れて重心が移動し、ついに強固なモチーフにクラックが入った。
自分のモチーフの脆さの正体、それは身体を起点にアウトして、言語にタッチしてバックすることで獲得することができる、運動・行為・方法論の副産物であるということだ。運動を止めると血流が鈍くなって、モチーフはそのうちに腐ってただれて地面に落ちていく。
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モチーフが果実であるとするなら、収穫をするということは終わりが近づいているという意味でもある。はじめての実がなるまでは忍耐、実った瞬間に喜んで、同時にいつかくる終焉を意識しはじめる。モチーフの果実は3年は実るかもしれない、運が良ければ5年や10年はサイクルを繰り返すかもしれない。でも永遠ではない。つまり果実が実った瞬間から終焉ははじまる。
樹木はもっと長い時間をかける。昨日も今日も明日も、目に見えた違いはない。だから、その瞬間を生きるには爽快であると同時に、未来のことを考えると不安になる。はたして成長するんだろうか、とか。実るんだろうか、とか。
思い返せば20代はだいたい辛かった。良い思い出、愉しみ、エッセンスは色々あったけど、記憶の集積をボーリングすると、断片と断片の一番分厚い部分はだいたい不安とか辛さとか、そんなものばっかりだ。不安だけど自分がないからどっちに向かえば救われるのかもわからないし、不安だから足元の安全そうな場所をぐるぐるしていて解決にはならない。そして、そういう場所は慣れているだけで全然安全ではないのも常だ。
20代前半に良き大人からかけられた呪いの言葉は「前向きにあきらめる」だった。ないものを嘆いても仕方ないからあるものでなんとかしよう、可能性は無限大ではない、そんな風に捉えていて頭ではわかっているつもりでも、心情としてはあるものって言われてもそもそも何も持ち合わせていないし、わずかにでも可能性がありそうな方向すらわからなかった。だからといって衝動的に突き動かすような内在的な何かもなかった。流れに身を任せればまだ救いはあったかもしれないけど、度胸すらないから逃げ続けた結果に行き着いたどこか、というしかなかった。
ついた仕事は格闘技のような感じだった。毎日、ひとりの上司と対面で仕事をする。電話の受け答えを一言一句のがさず聞かれて(言葉で)ボコボコにされて、格闘技というよりはサンドバックのような状態だった。当時は許されたけど〜という前置きが成立しないくらいに、圧倒的なパワハラだった。逃げ出したいけど、行く場所もないから我慢をしつづけた。これもある種の逃げである。
その上司は空手をやっていた。身体が大きく、豪快な人間だった。よく空手に例えて説明をされたけど、格闘技の経験以前に生身で対峙する経験がない自分には、言葉でも感覚でも、言っていることがさっぱりわからなかった。その上司にかけられた呪いの言葉は「20代のうちになんとかしろ」だった。何をなんとかしろって全てなんだろうけど、振り返れば小手先や上辺じゃなく、自分の重心を作れってことだろうか。体重がどこに乗っているのか、身体を支える骨格は何でできているのか。今ならよくわかる。重心がなければ移動はできない。移動とは意思であり、意思の先にあるのが偶然である。
何年もサンドバック状態を経験しているうちに、物事には規則があることにようやく気づく。方程式ほど正確ではないものの、パターンとしての展開があることを知ると身体が自然に動くようになった。空手で言うなら型であり、ランニングで言うならメソッドだ。まずは型を身に着けよう、最初は護身のため防御かもしれないが、使い続けて動作を繰り返すうちに中心があることに気づく。それがつまり重心である。重心は意思が生むものとは限らず、案外動き続けている過程で獲得するものなのかもしれない。
あらゆるものはスキルではない、守破離なのだ。原理原則とも言える。真理であり、自然でもある。離れた先にあるものは、また次の生態系なのである。永遠に守破離を繰り返す。或いは車輪の再発明という人がいるかもしれない。ただ、大切なのは最初に発明することではなく、自分の力で獲得する過程なのである。
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1994年12月25日、朝起きると枕元には小さな包み紙が置かれていた。目を覚ましてワクワクしながら紙をちぎると、中から拍子抜けしたものがでてきた。正方形のプラスチックケースの内側に青い冊子。白い文字で「Mr. Children - Atmic Heart」と書かれている。前日に10歳になったばかりの自分にはアルファベットの単語が意味するものを一文字すら理解できなかった。理解どころか、ゲームボーイをもらえるものだと思い込んでいた小学生には嬉しくもなんともない、期待が急降下するプレゼントだったことを今でもはっきり覚えている。
そのアルバムは受け取ったままでしばらく一切聴くことがなかった。そもそも音楽を聴く習慣がなかったし、Mr. Childrenの存在すら知らなかった。今思えば、親は何を思ってそれを選んだのかすら検討がつかない。それでも、巡り合わせとは不思議なもので、翌年に転校した先では人気のアーティストで、まわりに流されるようにいくつかのシングルを聴くようになった。クリスマスの朝に受け取ったプレゼントが同じアーティストのものだと気づいたのは、それから少し経ってのことだった。
もちろん、歌詞の意味を理解する人生経験なんてない年頃なので、リズムが気持ち良い程度の距離感で、長く長く繰り返していくうちに養分になっていった。Atmic Heartには時代を反映したギラギラしたサウンドが多いなかで、「雨のち晴れ」だけは気楽と言うか、適度な人ごとのような塩梅で安心感があった。大人になるということは、雨のち晴れのような世界のなかで生きるんだと子どもながらに想像しながら、現実の世界には一瞬たりともそんな心地は訪れなかった。
Atmic Heartのリリースから今年で30年が経ったわけだ。あの朝、歓迎しないギフトを手に入れてからまる30年。気づいたら親になって、その年のリクエストを枕元を置いていく側になった。今年ではないけれど、きっと近い将来望まれないプレゼントを仕掛ける日がくるんだろう。その仕掛けはすぐには咀嚼されない異物として記憶の片隅にこびりついて、いつかどこかの瞬間に姿をあらわすトリックになれば良い。または、欲しくもなんともないモノが置かれた残念な記憶として流される可能性もあるかもしれない、それもまた巡り合わせのひとつだろう。これも、一種の呪いなのかもしれない。
2024年12月24日、幸運にも40歳になった。大きな事故もなく、災害も、疫病も回避して、運良く生き延びている。これくらいの時間軸で振り返ると、若い頃に抱えていた不安も、眼の前で見つかったクラックも、けっこうどうでも良かったりする。嘆いても仕方ないし、前向きにあきらめるしかない。いち個体としてやれることをやるだけ。できる限り丁寧に、目に届く範囲の隅々までやっておく。これまでに身に着けてきた型と、身体と言語を頼りにする。その先の結果、展開、あらゆるものは流れに身を任せる。偶然性に委ねる。結局そこに落ち着く。ただ、40代はもう少し自己完結から離れてみる。これが眼の前のクラックに対処するヒントな気がしている。
アウトアンドバックからコールアンドレスポンスへ。どこかに向かって投げたボールはなにかにぶつかって戻って来るかもしれない。いったきりになるかもしれない。もしもかえってきたときはもっと大きく投げてみる。また違った方法で偶然に身を委ねてみる。
笑っちゃうほど誰も来ない店内でひとり過去を振り返っていると、ぽつりぽつりとやってくる客がいる。コーヒーをだして、ちょっと話をして、帰る背中を見届ける。これもひとつのコールアンドレスポンス。無形のプレゼントとも言えるかもしれない。予期せぬ来客にたまに会えないこともある。それはいつかのコールアンドレスポンスなのかもしれない。インターネットからのコールと、リアルでのレスポンス。
昨日と今日はかわらない。きっと明日も来年もたいして違いはない。それでも、10年くらいが束になった時に振り返ると、その瞬間と今日この日には確かな違いがあるはずだ。
この post は 2024 Advent Calenar 2024 第24日目の記事として書かれました。
昨日の記事はbasteiサン、明日はrealfineloveさんです。お楽しみに。