実践しています。

up and ups just fine

漂い

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UTMF2021

2021年4月24日、明け方、天気は悪くない。

想定よりも疲れてるけど、想像以上にスリリング。白い簡易テントの下、仲間と軽く話をしながらボトルに水を足す。一昨年、つまり2019年の同じ頃、同じ場所で観戦していた自分の面影を感じながら、二十曲峠エイドを足早に去って富士吉田を目指す。あの日の自分はPRESSとプリントされた黒いビブをつけて、外野として選手を観察する側だった。今日は自分の日。肉体を酷使して、すべてのエネルギーを放出する日。ここまではウォーミングアップで、ここから 残り30kmの核心部をどれだけ持ち上げていけるか、そのことだけを考えて1年半近くトレーニングしてきた。

自分より少し先にエイドを出た選手を早々に抜いても、一喜一憂せずに淡々と進む。なにせこのパートはとびっきりヘビーで、レース展開的にも気が抜けない。動き続けること、それも最大限の出力で、その一点に集中する。最後のエイド、富士吉田に着いた頃には期待値よりもボロボロで、筋力は消耗しきってるし接地のたびに膝関節が痛む。さいわい心臓は血液を循環させるための力はまだ持っているし、さらに気持ちは燃え上がっている。この先に待つ最後の山となる霜山を超えるとゴールが待っている。

遠い過去のように思うけどまだ数ヶ月前の話か。山に行けなかった時期は平日の早朝から近所のジムで傾斜をつけて2時間近く走っていたな。そのときに考えていたことと言えば、この霜山のシミュレーション。どんなに辛くても霜山は歩かずに走って登り切る。足元だけをみてステップを踏み続ける。トレッドミルの上では霜山を想像して、いまこの瞬間、そう霜山を走っている瞬間は明け方のエニタイムを思い出している不思議。ガラスの向こうはまだ真っ暗で、室内の天井は低く、ひたすらにトレッドミルの上で反復運動をしていた。そんな代わり映えしない情景を思い出しているうちに山頂にたどり着き、そして痛みを堪えて最後の下りパートを走りつづける。すでに150km以上走っているから当然なんだけど、急斜面を下るたびに痛みが増す。

ひとり、もうひとり抜きロード区間にたどり着く。なんかこの展開のデジャヴュ感が強いのは、恐らくグレートレースのせいだろう。今まさに、自分はディランボウマンなのである。チャンピオンに例えるなんておこがましいけど、今日の主役は自分であり、そのためにこれまで準備してきたんだ。ここからゴールまではすぐのはずなのに永遠に感じる。映像でみたDBoを燃料に最後の力を振り絞る。

記録は22:28、総合9位。1年半、夢に見ていたUTMF2021の表彰台が実現した。

 

という理想的な2021年の思い出話は実現することなく、なんなら3月の段階で開催中止が決まったことで、走ることなく終了した。「お前には無理だよ」とか「身の丈にあっていない目標」なんて言葉は関係ない。目指すか、目指さないか。信じるか、疑うか。大事なことはそれだけ。このレース展開を思い描いて1年半、自分の可能性を一瞬も疑うことなくトレーニングを続けてきた。

はじまることすらなかったなんて結果は、冷ややかな誰かからすれば「無駄な時間だったね」であり、同じ目標を持つ仲間からは「来年頑張ろうよ!」かもしれない。でも2021年はいちどきり。2022年に同じことはしないし、同じ目標を立てることは二度とないかもしれない。チャンスは一度きりです、だから清いんです。生身ってのはそういうものなんだ。

そんな訳で、2021年は言葉で表現することが難しい年だった。大会という晴れの舞台で全力を出し切ることだけに夢中になった。そういう意味で、2019年秋から2021年3月までの1年半は人生の中でも特別な時間だった。大概のものが結果よりも過程に価値があるように、トレイルランニングにおいても本番より日々の積み重ねにこそ美学が集積する。

つまり本番があるかないかなんて重要じゃない。準備期間において"少なくとも最後まで歩かなかった"っていう自負さえあればそれで十分...... だと頭では思っていたけど心は案外素直で、鍛えられた身体とのギャップに耐えられず、もぬけの殻みたいになってしまった。

 

 

生活の再構築

想像以上の消失感があったのは夢の舞台に立てなかった無念さだけじゃないのはわかっていた。それは少なくない犠牲を払って準備をしてきたから。わかっちゃいるけど今やれない、って類の複雑な案件はトレーニングを理由に保留にし続けてきた自覚があった。特に、今後どこに住むかという我が家では永遠のテーマについて。子どもが小学生になる前には拠点を決めるべきとういリミットがいよいよ近づいていたからだ。

そして僕らは高尾に引っ越した。

JR中央線の始発駅(終着駅ともいう)であり、高尾山の麓。街を歩けばトレイルランニング仲間に高頻度で出くわす特殊な社会。犠牲に対する精算の意識もあって、勢いのまま大会中止の2ヶ月後には引っ越した。独り身なら思い切って北海道にUターンしただろうけど、家族個々の生活を維持しながら精一杯遠い場所にやってきた。自然に近い場所で生活をしたかったことと、都市の窮屈さに耐えられなくなったこと。窮屈というよりも退屈と言ったほうがしっくりくる。

もちろん、都心から1時間以上離れた場所に住むと、それなりに生活スタイルを軌道修正しなくちゃいけない。人生ではじめて車を買った。まさか、車を所有する日がくるなんて想像もしていなかった。仕事は年内で辞めることにした。

そこまでして高尾に引っ越したのは、トレーニングに明け暮れたいからじゃなく、ましてや仲間内でワイワイした木更津キャッツアイ的な世界観への憧れでもない。それは、自分の住む場所は自分で決めないと気がすまないっていう偏ったこだわりがそうさせた。生まれ育った場所が人間性潜在的な影響を与えているとすれば、北海道の寒くて暗い真冬の「下校時」がスタート地点になる。夕方5時には真っ暗で、見上げれば夜空と星、正面は吐く息が凍りついて広がり、足元は雪と氷が永遠に続く。田舎だから街灯もまばらで、もちろん外には誰もいない、たまに車を見かける程度の毎日。この景色の中、いつも一人で歩く。気温はマイナス10〜15度で、明日も明後日も変わることなく続く。ここでは人間が自然に適応するしかない。結果、少年は脳内カンバセーションを永遠に繰り返して、自問自答の先に「偏り」を獲得して「話す力」は失われる。

関東に生まれ育った人の季語が桜であるなら、北海道にとっては間違いなく雪だ。どこに住もうと、雪が降らなければそれは冬じゃない。もう10年以上、四季の欠落と季語の回復を求めて生きている。マーセル・セローの「極北」で、主人公のメイクピースが人を求めて故郷を離れて、最後は故郷を求めて旅をしたように、僕らが住んでいた場所の特殊性を認識するために外界に出て、そして元いた場所に引き戻されることを願うのかもしれない。思えば、「下校」も始点から終着という場所から場所への移動であり、日々繰り返させるミニマルな旅なのである。

トレイルランニングにこれだけ熱中する理由も競技性じゃなく、根本的には場所から場所への移動がテーマだからなのかもしれない。距離に対して、速度と思考がいい塩梅で持続できるから、僕はウルトラトレイルに夢中になる。トレイルランニングもある種の「下校」という訳だ。

故郷、季節、土地への愛情のつもりでいたものは、実は無意識の中で土地に対する執着心が醸成されていたようにも思う。少なくない犠牲の精算を理由に新しい土地を求めて、居住の代償として生活を再構築する。夢の終わりは漂いのはじまりとなった。

 

 

アウトアンドバック

たしかに、「平成は令和と併存する形で続いていた」ように、2020年のエピソードは2021年の漂いに影響を与えていた。2021年の決断はきっとそれ以前に、知らぬ間に決定されていて、2021年のエピソードはきっといつか訪れる未来の種になっているはずだ。昨年の、ある出来事を振り返る。

 

2020年8月19日

アウトアンドバックというアプローチを知る。出発点からある地点まで行き、そして同じ道を引き返す。いわゆるピストンってやつだ。トレーニングメソッドとしてのアウトアンドバックを超えてこの言葉に妙な引力があるのは、どことなく冒険心を喚起させられるからかもしれない。「行って・返る」という動作以上に「出て・戻る」という場所への関係性が強く感じるからだろうか。

2020年、夏。言葉の印象をそのままに僕は3つのピンを立てた。ひとつは高尾駅、高尾山域の玄関口。もうひとつは標高1531mの三頭山、奥多摩山域でありアウトアンドバックの折返し地点となる。最後のピンは陣馬山、ここは高尾山域の西端であり、ここから先が奥多摩山域となる。和田峠のゲートが関所のような役割となって、進めば三頭山に向かい、背面には高尾山域の知ったトレイルが動脈のように広がっている。

高尾駅を起点としたアウトアンドバックは距離にして85km、累積標高にして5000mD+となる。つまり、高尾 - 三頭山間の片道約43kmを往復する。このルートのタフなところは距離だけじゃない。3つめのピンとなる和田峠は文字通り関所のような存在感があって、ここを超えた瞬間に山の雰囲気が一気に変わる。ここから三頭山までは人里から離れているエリアを通るのでエスケープルートは少なく、茶屋がなければ、水場もほぼない。ハイカーも少なく、そのせいか鬱蒼とした空気が漂う。

和田峠から三頭山は距離にして片道20km、つまり往復で40kmを走らなければ途中で辞めるという選択肢すらない訳だ。これこそアウトアンドバック。大げさな表現をすれば、これは命綱を外したフリーソロなのである。僕は高尾山域というホームから出て、ワイルドサイドから生還しなくてはいけない。

これにはレースでは味わえない緊張感がある。消耗する体力、日が沈み刻々と暗くなる視界、獣の気配。往路として、和田峠からアウトした瞬間の意気込みに比べて、バックでは”生”の実感と、それ故の恐怖が漂っていた。薄暗いトレイルの向こう側に大きな猪が現れて、猿は木々を揺らして存在感を主張する。すべてが偶発的で、自然の一部として飲み込まれることの恐怖を知った。和田峠のゲートにたどり着いたときの安堵感は言葉にならず、生還そのものだった。

振り返ってみると、この日を境に価値基準の変化がはじまったように思う。2020年代を生きていくための背骨を得たというか、これからの5年・10年におけるささやかなコンセプトの種を拾ったような感覚だった。「自然はアンコントローラブルな存在である」そんなことわかってるよ、ってことでも言葉をなぞるのと身体に馴染むのは全く別物なのである。もはや、偶発性の先にしか感動とか、神秘的な瞬間ってないんじゃないか。もっとそっち側に近づきたい。

 

 

ベスト・オブ・決断

「右方向です、30メートル先右方向です」って指示されて曲がった先に猪がいるなんてことはないですよね。交差点を渡るとき、車に気をつけることはあっても猪はチェックリストに載っていない。猿との間合いを気にする必要はないし、暗くなれば街頭が照らしてくれる。

Google Mapsをひらけば首都圏に無数のピンがたてられて、目的地に行く前から余計な情報で過多になる。行って、答え合わせをして、また次を目指す。人口動態統計は都市化する未来図をはっきりと捉えている。30代の僕たちは職場と保育園に規定されて住む場所を決めて、70代になった僕たちは病院と施設に規定されて終える場所を選ぶ。「いまは便利な方が…」を合言葉に、トレース可能なグリッドに生活を落とし込む。

「遺伝子検査でアレルギー反応をみて、出自と家族構成から未来を予測して、行動を規定してく。そうやって”データの奴隷”になっていく。」ってことを言っていたのは落合陽一だったろうか。

 

2021年のなにかに”ベスト”というタグをつけるなら、それは”決断”なんだろう。これはいわゆる”良い決断”をしたっていう結果に対して付与しているわけじゃない。そんなことはどうでもいいんだ。決断したこと、そのものが態度表明なのである。

引っ越しという”決断”は規定されることへの抵抗なのである。言うても東京の西側だろ、なんて言葉には意味がない。トレイルランニングの順位に優劣がないように、個人の決断は個人の文脈なのである。これは隷属へのレジスタンスであり、偶発性へのベットであり、漂うことへの信頼なのである。移動時間が長い場所に住むことも、不便であることも、車を所有することも、計算機上では無駄であり、非合理的なことは目に見えている。でもそんなの関係ない。

地図はなぞるよりも作る方がクリエイティブであって、コーヒーは撮って上げるよりも淹れて飲む方が五感を刺激する。ランニングだって語るよりも、自重を感じるから言葉を獲得する。市井の民によるささやかなレジスタンスは、決断すること以上に実践することで未規定な未来に漂うことができる。

 

 

マイケル・ポーランはこう表現した。

料理するべきかしないかそれが問題だ。
もちろんそう簡単ではない。
料理の意味は人や時代により異なり、二者択一では計れない。
それでも料理の機会を増やすことを提案する。
日曜に一週間分を作るのもいい。
買ってばかりいた食品を自分で作るのも一興だ。
それでだけでも意思の表明となる。
その意思とは?
人々が料理をやめたこの世界で、すべてが専門化されるのに反対するのだ。
合理化の流れを止めよう。
あらゆる商業化の波に押し流されぬよう。
余暇を料理に使いその時間を楽しもう。
あらゆる時間を消費に費やさせようとする企業に独立を宣言するのだ。
料理は食物の単なる変換ではない。
現代社会では貴重となった人々の支え合いを体験できるツールだ。
効率性の観点では素人の料理は無駄が多いかもしれない。
だが美しい行為だ。
あなたの愛する人々にごちそうを作る時間は、自己犠牲に満ち、他者との関わりを得られ満足度が高いはず。

 

- Michael Pollan 『COOKED』-

 

メリークリスマス
ハッピーバースデートゥーミー
良いお年を

 

この記事は 2021 Advent Calendar 2021 24日目の記事として書かれました。昨日はtakawoさん、明日はrealfineloveさんです。お楽しみに。