実践しています。

up and ups just fine

トレイルランニングのニューノーマル

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2020年3月、高尾にて。

 

仕事においても、家庭においても、新型コロナウィルスの影響は大きく、深刻化して以来生活は一変した。自分自身は文字通り走ってのフィジカル通勤を続けているので、リモートワークというこれからの生活様式に触れられないことは残念だけど、緊張感に晒されながら働いていることでもまた、今までとは違った新しい日常をひしひしと感じている。

感染の防止策からマナーに至るまで情報を取捨選択して、すべきことを実践していく他にないと考えている。決断したことは実行して、判断が誤ったことは訂正する、それを続けるだけじゃないか。

そういう指針でいるので新型コロナウィルスについて触れることもなく、淡々と今できることを継続して、今まで通りのリズムでブログを更新しようと思っていたのは先週までのこと。今になって何に触れるかと言えば、タイムリーなトピックではなくこれからのこと。切っても切り離せないトレイルランニングが、大切にしているライフスタイルがこれからどう変化していくのか。そのことについては今の状況も踏まえて記録しておくべきだと感じたからだ。

数年経って「そんな時期もあったよね」と笑えれば幸せだし、あるいは想像を超えたディストピアが待っているかもしれない。刻々と変化するなかで、個人とトレイルランニングの関係性がどんなうねりを打つのか想像してみる。

 

 

まず個人的な話から。何度も同じようなことは言っているけど、やはりライフステージの変化には逆らえず、トレイルランニングレースにでることは非日常の極みである状態にはもう慣れた。去年あたりからようやく計画的に大会を見据えた練習ができるようになったものの、これから回数を増やすつもりはなく、年に1回を目標にしながら、とは言え大会もひとつの糧にするくらいがいいバランスだと言い聞かせている。

だから今年あるいは来年に予定していた大会が開催されないことは日々のモチベーションにさほど影響はなく、いま淡々と走っているだけでも十分愉しい。手元の数値を見て、どうしたら最適なトレーニングができるか、思考と実践を行き来するなかで生まれる課題は手触りがあって飽きることはない。ただし、いずれ来るだろう晴レノ日を想定しているからであることに間違いはない。

では、大会というステージがもう二度と来ないとすればどうだろうか。そもそも、そんな世界を想像できるだろうか。現実となったときに、それでも自分は走り続けるのだろうか。

最近は満更でもないと感じさせる危機感がある。

ひとつのきっかけとなったのはこのポッドキャスト。DogsorCaravanの岩佐さんがホストとして、トレイルランニング界のトップ選手からベテランの市民アスリート、業界の方々と対話するコンテンツ。

 

dogsorcaravan.com

 

この回ではパワースポーツの滝川さんにこれからの大会運営について尋ねている。コロナが長期化すると、レースそのものが今までと同じようには行かなくなると語っていた。滝川さんの言葉そのままに言うなら「もとには戻らない」と。大会運営を生業にしている人が語るだけに、その緊張感は聞いていてゾッとするほど伝わる。

ソーシャルディスタンスの確保、エイド運営の改善程度、参加人数の制限で済むなら御の字で、それが距離の短縮だったり、居住地が参加条件に加わる、観戦可否になれば大会の魅力そのものに関わり、ひいてはトレイルランニングの在り方を変えていく可能性もある。

 

dogsorcaravan.com

 

もし、トレイルランニングに競技という側面がなかったなら、キリアンのようなスーパーアスリートは生まれていなかったかもしれない。或いは、実力に裏打ちされたミニマリズムの象徴トニーの輝きも違ったものだったかもしれない。そして、トニーが表舞台に現れなければ日本のカウンターカルチャーアイコン ”ミノル・イナバ”のカリスマ性は発揮されなかったかもしれない(そんなことはありませんね、稲葉さん。調子に乗りました)。

 

 

トレイルが荒れれば整備をする。人手が必要なら駆けつけて手伝うことくらいはできると、去年の台風19号で知った。一年に一回レースを開催するために、前にも後にも労力がかかっていることを垣間見た。自然の中で「走らせてもらっている」とは大袈裟に聞こえるかもしれないけど、実際にその通りだと思う。

同時に今回実感したこと。自然と共存していながら、僕らのアクティビティは人とも共存しているということ。ことレースに関して、お金を出せばゲストになるというのはもう過去の話になるだろう。全国各地レースの数は多いけど、大半のレースは年に1回の開催だ。その1チャンスを、今年はほとんどの大会が失っている。来年も同じかもしれない。これが続けば、コロナが終息しても資金面でもう開催されない大会も出てくるはず。いくらエントリー条件をクリアしても、大会そのものがなければ意味がない。先行き不透明な中で運営側のリスクを考えると現実味は増す。改めて僕らは人にも「走らせてもらっている」わけだ。Doスポーツであると同時に、Withスポーツであるだけに、これからもレースを走るために何ができるだろうか。 

 

note.com

 

もういっそのこと、運営を支えるために募金を呼び掛けてもいいんじゃないか。お金で解決できるなら手っ取り早い。人手と時間が必要な自然を保全するより単純だ。大袈裟かもしれないが、いまはトレイルランニングそのものが揺らぐ時期だと思っている。 

または、今までのようにレースが開催されるようになったら、もっと参加者側が歩み寄るべきことも多くある。手間がかかる郵送はやめて、連絡はメール、デジタル化できるものは移行すべきだ。

或いは、トレイルワークの義務化を推進していいと思う。自然が地域・社会の共有物であるならば、レースを走ることを口実に、日々遊んでいる僕らで手入れする必要が差し迫ってるんじゃないか。誰かがやらないと荒廃していくなら、もはや全員でやるシステムを作っていくのも一つだと思う。 

これを機に、ただ過去の形式に戻るんじゃなく、トレイルランニングニューノーマルにシフトいこうじゃないか。

 

改めて自分に問う。大会がなくても走り続けるか、と。

答えはYES。だけどアクティビティの幅として大会があった方がよっぽど豊かで深みがあることは間違いない。そしてYESかNOの二者択一にはそもそも意味がない。このコミュティを、どうやってより良くしていくかが大事。

トレイルランニングとの関係性を、積極的に変化させていこうじゃないか!