実践しています。

up and ups just fine

荒地にむかう

 

100km, 6000m, 14時間

2023年の夏、例年以上に暑い日が続いた。朝の6時を過ぎると気温も湿度も、強烈な直射日光も望まない余計な負荷を身体に与えた。疲労の繰り返しでただでさえ辛いっていうのに余計なことはしないで欲しかった。それでも、カチカチに凍結する真冬の寒さと比べたら、早朝から明るく走りやすい真夏の方が気持ちは楽だった。

どうせ人の少ない時間帯だし、上半身裸で走ることが真夏の習慣になった。3インチのショーツ1枚で走っているとわずかに触れる風が気持ちよかった。無駄がないを通り越して、足りてない上半身を見下ろしながら走る。リズムよく自分の足が大腿四頭筋から膝、そしてシューズの順に視界に入る。左右、左右と繰り返される。

飽きもせず、同じルートを毎日走る。1つは通称Yellow gate、緩やかな上り基調の道を街外れの登山道に向かって進む。黄色と緑に塗られた車止めのゲートにタッチしたら、同じ道を今度は下り基調で戻る。もう1つは家から走って5分の里山。登って降りてをひたすら繰り返すシャトルランのトレイルコース。走る速度さえ抑えればどちらも大してキツいわけじゃない。ただ、毎日のこととなると、それも数ヶ月続けていると余力がなくなってくる。

8月、レースに向けた最後の仕上げは「100km, 6000m, 14時間」をクリアすること。それを4週間続けること。1週間で100km走ること、それは難しくない。1週間で14時間運動すること、難しいけど4週間限定ならなんとかしよう。そして6000m上昇すること、これが加わるだけで負荷を劇的に上げていく。近所の初沢山をひたすら登って降りてを繰り返す。上下運動の繰り返しで重力障害になるほどに。

早朝5時に疲労が蓄積して、日中は身体が軋むように鈍く痛む。寝ても疲れが抜けるわけじゃなく、起きた瞬間に一番疲労を感じる。そんな日々を繰り返す。これは続かないかもしれない、と一片も思わないのが不思議で、やると決めたら動き続けるだけという、オートマチックなモードになれば身体と心の分業が数字と疲労を積み上げていく。

動いているあいだ身体は刺激を受けて発展する。明らかに引き締まっていく脚は頼もしい表情をしている。ひとつの独立した人格でも存在するかのように振る舞い始める。例えば、一定のペースであれば平地でも傾斜でも、いつまでも無限に上体を運んでいくような余裕を感じる。動いている瞬間はこれまで溜め込んだ疲労をいっさい忘れて、永遠に動き続けられるような錯覚をする。イメージはできている。レース当日、スタートの合図が鳴ったら走り出して、安らぎと静寂のなかでゴールまで身体だけが動き続ける。気づいたらゴールしている、それを理想に日々のトレーニングを構築している。

身体が動いているあいだ心は心で発展している。走っているあいだは大抵、本番のことを想像したり、その瞬間のペースや調子について観察している。何が上手くいって、どこが課題なのかを整理してセルフコーチングのような、会話を永遠と頭の中で繰り返す。音楽を聞けば同じ曲を繰り返す。その曲に惹かれる理由を探しながら、自分の中の普遍性に結びつける。たまに昔の記憶が蘇る。

9月10日、総仕上げのトレーニングを無事に終えた。夜中から朝にかけて一人で裏山を徘徊する。適切と想定するペースの確認から、補給の頻度、ウェア・ギアからフィーリングまで、すべてに本番を想定してトラブルの種がないかひとつひとつをチェックしていく。すべての点検を終えた時点で、レースの完走を確信する。これまでで最も過酷なトレーニングをやりきった自信と充足感を得て、あとは本番まで身体を回復させるだけになった。

思い出話は青くて臭い、けど放つ

2005年2月、〈Esquire 日本版〉の「旅する写真家」特集の表紙は、たしかRyan McGinleyが撮った作品だった。トラックの荷台に乗った女性の髪の毛が、その速度を現すかのようになびいていて、圧倒的に自由なものを感じた。ちょうど一人旅に没頭していた時期で、「写真家」を気取ってカメラをぶら下げて彷徨っていた。今となっては青臭くて恥ずかしい記憶だけど、どう受け止められようと気にしない程度には、この20年弱で耐性がついてきた。

はじめてWolfgang Tillmansを知ったときも衝撃をうけた。〈View from Above〉と同じような写真を撮りたくて街を徘徊した。たいがい、上手く撮れたと思うようなものはヨーロッパの路上のようなすでに完成された景色を切り取った時だけで、少しの高揚感とそれ以上の虚しい感情が多くを占めた。

「旅」って言葉も青臭くて今では意識して避けているけど、それをしたかった源流は王道の沢木耕太郎だった。当時出入りしていた雑貨屋の店主から勧められて読んだ〈深夜特急〉で決定的に衝動が加速して、初めての一人旅でトルコに行った。初めての海外で、ひとり、そして無謀にも滞在期間は30日。英語は話せないし、ツテなんてなかった。

当時、一番安い航空券はアエロフロート・ロシア航空で、トランジットはモスクワのシェレメチェボ国際空港だった。薄暗いロビーで軟禁されているような気分のなか、イスタンブール行きの飛行機を半日待った。全く同じルートで日本から本国に帰省するトルコ人、それと数人の日本人学生と知り合って、イスタンブールについてからは中心部行きの電車に一緒に乗った。地下を走る電車がトンネルを抜けて地上に乗り上げた瞬間に広がった街の景色は今でもはっきり覚えている。きっとあればボスポラス海峡とその向こうに続く異国の景色が初めての海外体験だった。

「旅」をしていると毎日が一期一会で、同じような人間に「偶然」会っては別れてを繰り返した。その日何をするか、明日どの街に移動するかも自由で当時はそれが心地よかった。高い入場料を払って博物館に行かなくても、散歩をしているだけで新鮮だった。たまたま入る食堂で食べるものはどれも抜群に美味しかったけど、特にトマト煮込みをかけて食べるピラフは最高だった。

毎日が文字通り非日常だし、写真を撮ればどの瞬間も絵になるし、無条件に「偶然」を感じることができた。そんなことに惹かれて同じようなスタイルの「旅」を何回かしているうちに社会人になった。もちろん休みがないから長期旅行なんてできないので自然と「旅」には行かなくなった。でも一番の理由は上澄みだけを味見して消費しているような感覚が嫌になったんだと思う。

 

信濃、身体流々

2023年6月、長野県の木島平で開催されている〈奥信濃100〉を走った。当初は2023年のメインレース、1本勝負のつもりで考えていたのに、春先までろくに走ることができず練習レースとしてでることにした。練習レースという概念自体もう10年近く封をしていたから、そんな心持ちで100kmも走れるのか心配だった。おまけに練習を再開したばかりで、フィジカル的にはまったく期待できない。

振り返ると今年は奥信濃にはじまって、野沢温泉から湘南国際マラソン、そして年末の武田の杜まで、軽い気持ちで、それも自分にしては珍しいくらい多くの大会にでることができた。変化をつけたいという狙いがあったのはマンネリ化した訳ではなく、どこにたどり着くかわからないものに流されてみたかったから。自分を中心に狙いを定めた先に向かって積み上げていく没入感が一番だとわかりつつ、それだけでは足りなくなってきていることを感じていた。

例えば、最近はめっきり機会が減ったもののレストランに食事に行くときも同じようなことを思う。期待を裏切らないジャンル、お店、メニューがあるのはわかりつつ、その範疇にとどまってしまうことを避けるような感覚。そういえば、あまり好きじゃないと思い込んでいたインド料理というジャンルに連れて行ってもらった時に新しい世界に触れたような時のように。

原因は単純で時間がないから。やりたいことが明確だと、どうやって時間を確保しようか必死に頭を使う。結果、「選択と集中」に流れ着くのは自然なものの、何年も続けていくと集中の精度は高まっていくと同時に何かが細っていく感覚がしてきた。せめて集中している分野の中では再度選択肢を広げることがしたくて、たくさんレースに出るという最近やっていなかったことに手を出してみた。

信濃はギリギリの時間に前日受付を済ませて、ご飯を食べてからそのままスタート地点の目の前にある駐車場で車中泊をした。背面のシートを倒せばアウトバックは寝るには十分で、レース前日のケアなり睡眠の質なんて無視して車内でゴロゴロしているのが一人旅のようで新鮮だった。

朝になってスタート地点前に集まると知った顔がちらほら見える。トレーニングが全くできていないので気負いはいっさいなく、完走はできるだろうからどこまで脚が持つか確認をするつもりでスタートラインについた。序盤はゆっくりと走っていると、想像よりはやくハイライトになる高社山をむかえた。山頂にたどり着くと眼下が一面雲に覆われていた。

高社山を過ぎると、これも奥信濃らしさのある沢沿いを登り続ける。いくつか渡渉ポイントを超えて40kmを過ぎたあたりで気がつくと順位が6位まであがっていた。ペースを上げた訳ではないけど、不安定な地形を登り続けたことと、長距離を走る練習をしていなかったこともあり、疲労度としては70%をこえていた。

その後はひたすら我慢をする。歩きたいけど我慢して走る。ペースを落としたいけど我慢して維持する。休みたいけど我慢して動く。60kmを過ぎた頃にはクタクタだったけど10km続く林道の下りを我慢しながら走っていると、辛いながらも少しずつ回復していく感覚があった。あとは意地。不幸にも比較的早い段階で、入賞圏内に入ってしまったので、行けるところまでは我慢するつもりで動きつづけた。

結局、ゴール手前で1人抜いて最終的に総合5位でゴールした。そもそも身体ができていないなかで、そして100kmという自分にとっては難しい距離の中で思いがけない出来事だった。正直に言うと、震えるような喜びだった。我慢し続けて得た結果だったことと、埃を被った「練習レース」をしっかりと走り遂げることができたこと。何より、思ってもみない感情に触れることができたから。自分の頑張りに対してというよりは、身体と心を切り離したことによって、心が身体を祝福するような瞬間だった。

ゴールしてすぐに、コーチに電話した。

 

幡ヶ谷、阿佐ヶ谷、真夜中、ダークネス

2011年、今じゃ考えられないくらい小さなステージでアコースティックソロライブをしていた星野源。会場が弁天湯という吉祥寺の風呂屋だったので、天然のリバーブで聴いた〈ばらばら〉は自分の中では数少ない「間に合った」エピソードかもしれない。決してハイな側じゃないし、むしろロウなライブでも会場には確かな一体感があった。ファーストアルバム〈ばかのうた〉そのものが、手の届くような四畳半的な世界観だったこともあるはずだ。

映画〈69〉で「指紋の無か中村」役をやっていた俳優が、SAKEROCKのフロントマンだと知ったのは随分先のこと。SAKEROCKをメインにしながらソロ活動をはじめた経緯を、歌いたかったと言っていた覚えがある。下北沢の地下にある小さなステージの上に立つ彼と、バンドの音楽、ソロデビューアルバムの世界観がすべてひとつの円のなかにあるような印象を受けた。

自分としてはずっと〈ばらばら〉が持つ引力が強すぎて、その方向を求め続けているようなところがあった。それは古参のファン特有の占有間ではなく、内面の代弁でもなく、純粋に言葉が好きだった。ちょうど〈LIGHTHOUSE〉で、「あの(音楽的な)方向で、あれ以上の曲は無い」と語っていて、ずいぶん長く喉にひっかかっていたものが流れ落ちた。

独自のヒップホップ的表現として製作された〈湯気〉から、いつのまにかストレートな〈さらしもの〉に変化したり、マイケル・ジャクソンへのリスペクトが溢れる〈SUN〉から、言葉も音も多様な〈アイデア〉は完全な独自の世界になっているように感じた。

これまでリリースされた曲の変化を時系列に捉えながら、〈so sad so happy〉を補助線的に聞くとさらに奥行きが出てくる。おそらく昔から好きだっただろう世界観から、現在の星野源をインスパイアする楽曲まで、プレイリストタイトルそのままに「喜」と「哀」がつまっている。ユーミンの〈シンデレラ・エクスプレス〉からサンダーキャットの〈Blackkk〉に曲がつながるなんて、一体どんな感性がそうさせるんだろうか。

振り返るまでもなく自分の20代半ばから現在に至るまで大きな影響を受けたのは、どことなく親戚のお兄ちゃんの背中を眺めているような部分があったりすることと、好きなことに対する純粋さからだろうか。当時、いろんなバンドのライブに出入りしながら、ライブが終わるとたいてい激しい興奮とどこか虚しさがあった。星野源の音楽には小さくて、じんわりと温かいものが身体の中に残っている感じがした。

 

肉と血と、身体と言葉

2023年9月23日、午前4時。小雨のなか〈上州武尊スカイビュートレイル128km〉がはじまった。少しだけ考えたものの、迷ったら安全な方を選べというウルトラの鉄則から濡れ対策でシェイクドライを羽織っておいた。こういう選択のひとつひとつが自分らしさの断片であり、断片の集合体が「完走」を約束させていく。完走のために「安全」に行こうではなく、「当たり前」をやり切る。

山を走る誰しもが一度は体験する「野生」の開放から、今の自分の基礎ができたのは2019年頃だった。子どもが週末の習い事をはじめることが決まって、山に走りに行くという「可能性」は自分の中で完全に消滅した。もともとあって無いような可能性だったが、少なくとも毎週土曜日は習い事の送迎が固定になるので、たまには遊びたいという願望は完全に消し去ることにした。

可能性を「可能性」のまま残さないということは当時の自分にとってはそれなりの決心だったし、「前向きに諦める」という考え方のターニングポイントだった。習い事の前後にできるようなことからもう一度やり直すことに決めて、まずは走る週間を取り戻すことから着手した。いくつかのテキストを読んで、当時の自分に一番相性の良さそうなトレーニングを取り入れた。週に5回、距離や強度は気にせずに、まずは回数を重ねることを意識した。苦手な早起きを克服して、早朝のランニングが習慣になった。春にはじめたトレーニングは夏をむかえる前には板についていた。

その年に完走したロングレースの直後に、子どもの習い事の発表会があった。バレエ、子どもがはじめるまでは全く関わりがないものとして生きてきて、発表会を観るまでは子どもの引率程度に考えていた。その舞台は大人から子どもがひとつの作品を一緒に作っていた。そこで初めてプロのパフォーマンスを観たときは衝撃だった。

僕らは完走を目指してウルトラディスタンスに挑む。完走が手に届くようになれば、今度はタイムを意識するようになる。だんだんとペースがあがり自己ベストの更新に挑むようになる。バレエに限らず舞台において、振り付けをこなしていくことは当たり前で、その先にある表現力で観衆と対峙する。スポーツとアートという違いはありながら、どちらも高い身体能力を使っていながら価値軸がこうも異なることに驚いた。時間をかけて本番に向けて準備をするというプロセスが似ていることが目的の違いを一層際立たせた。

当たり前のように動き続けられる身体に整えること。とっさのトラブルにも対処できる準備をすること。スタートの合図からゴールラインを越えるまで、自意識すらなく身体が動き続けることを理想として、本番で表現をする「旅」がこのときからはじまった。

準備段階から本番のペースを身体に覚えさせること。最もリスクの低い補給方法を確立すること。何より、本番から逆算したトレーニングによって身体をつくること。あとは当日、準備した通りに動き続けるだけ。無用な負荷をかけなければ意識は溶けて身体だけが動き続けることを信じる。その瞬間がやってくることは経験から知っている。ただ、願わくば最初から最後まで、あるいはできる限り長く続けることは本番でしか確認することができない。

 

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中間地点のオグナほたかスキー場にたどり着いた時にはまだまだ余裕だった。上手く意識と身体をコントロールできている手応えがあった。疲労は最小限で、補給も問題ない。ドロップバッグから取り出したジェルをザックにつめてすぐにエイドを出発する。ここから更に出力を上げる余裕があった。
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バレエ的に走ることを意識してから、ランニングとの向き合い方が一気に変わった。競うことにも誰かと比較することにも興味がなくなって、自分の心の中に芽生えた美意識を身体で表現することだけになった。人と走ることにもほとんど興味がなくなったし、繋がりは求めなくなった。真空のような状態が一番心地よく、ルーティンを磨くことに集中した。表現と言っても誰かに何かを伝えることを目的にしていない。かたちのない抽象的な美意識を具体的にしていくだけ。

走ることがバレエ的であるなら、文章を書くことはヒップホップに近い感じがする。ハードなトレーニングは肉体を形成する。屈強な肉体を求めて負荷をかける。負荷をかけると肉体に血が巡る。血が溢れると言葉になって身体を飛び出す。誰かに伝えるためではなく、自分のために思考を整理して言葉を整える。肉と血が、身体と言語が接続される。

 

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真っ暗ななかで最後の山塊をこえていく。ここまでくると流石に全身疲労している。とは言え完走はほぼ手の中にあり、それなりの結果も現実的になってきた。まだプッシュする余裕もある。実際にしっかりと走ってみる。確かに身体は動く。ゴールはもうすぐだけどまだまだ動く自信がある。これが求めていたパフォーマンスなのか考えながら最後の下りを走る。

山から抜けると街灯がまばらに続く。何度か道路を直角に曲がると急に目の前が明るくなる。最後のストレートで全力を出す。自分でも感心するくらいしっかりとしたストライドで、ゴールに近づいていく。そのまま止まらず、余韻に浸ることもなく、全速力のままゴールテープを切った。
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自慢できるほどの結果じゃないものの、自分の中では関心するほどレース全体をコントロールすることができた。まさに準備の賜物であり、これまでのイメージにようやく到達した手応えを得ることができた。スタートからゴールまでとは行かないものの、集中を続けて128kmを走り切ることができた。

ただひとつ、予想外に味気なかった。

ここ数年、心の内にある理想を求めて積み重ねてきた。今年の夏は今までで最も過酷な準備を乗り越えた。そもそも何がしたいのかよくわからなかった20代前半からはじまって、走ることで自分なりの表現方法を得ることができた。続けることで美意識が構築された。楽器は弾けないし歌は歌えないけど、生身と言葉で表現をする度胸がついてきた。

ようやくたどり着いたゴールは思っていたものと違っていた。ゴールしてみて何か物足りなかった。何が足りないかはすぐに気づいた。足りなかったものに触れるために次の荒地にむかうことにする。

ゴール直後に感じた味気なくて物足りなかった感情は、じわじわと新しい発見に変化していく。振り返れば20年分くらいの景色が地続きで、そしてその日は振り返るには絶好の日だった。自分のことがわからないという得体の知れない恐怖に追われる訳ではなく、行き先がわからないわけでもない。




この post は 2022 Advent Calendar 2023 第22日目の記事として書かれました。

昨日の記事はmactkgサンの〈ベスト・オブ・2023 - 半空洞男女関係〉でした。

明日はまとさんです。お楽しみに。