信越五岳2019 - 後編 -
黒姫 → 笹ヶ峰グリーンハウス / 13km, 945D+
想定タイム / 2:00
通過タイム / 1:52
順位 / 13位(区間 8位)
ここまでで102kmが経過している。100kmを越えるレースを走ることはこれが4回目。もちろん、練習で100kmを走ったことはない。信越に向けてBack to Backは何度かやって手応えは感じたけど、通しで100マイル走るのとはわけが違うだろうと思ってた。実際、ここまでは不思議なほど余裕がある。もちろん、疲労はあるけど単純に距離を走ったことに対する疲労であり、深部は元気だ。内臓も快調で、ずっと屁が出続けてる。ただ、一度ペースアップしたら、そこから来る疲労は簡単には取れない予感はする。これがいわゆる足を使うってことだと思う。筋肉疲労でも、単純な関節疲労でもなく、溜め込む疲労が飽和したら走れなくなるって感覚が、なんとなくわかった。
幸いまだ大丈夫だ。でも勝負をかけられる回数はそう多くない。どこでブーストかけるかは博打とか、駆け引きというより、波乗りだろう。うまく波に乗れればどこまでもスイスイ進めるし、失敗すれば次の波が来るまでただただ待つのみ。もちろん、波が来る回数は多くない。
出発してすぐに自分のコンディションを簡単に伝える。つぎに、調子がいい間は自分が前を走って、しんどくなってきたらフォーメーションを変えたいことを伝える。最後に、まだ自分のペースを基準にするけど順位は意識しつつ、戸隠あたりから攻めようと確認をする。
スタートしてすぐの林道は歩きと走りを混ぜつつ、傾斜を見ながら適切なスピードをだす。それにしても、いやらしい角度と距離だ。行こうと思えばいけるけど、本気にしたら疲労がたまる。この辺がトップ選手と自分の差なんだろうな。ナミネムさんが前にいる選手の名前を教えてくれる。自分は知らないけど、トップ10までは強者らしい。ここまでくると、そう簡単に順位は上がらないことを走っていて実感する。一向に人の気配がない。
それでも、進んでいくと笹ヶ峰手前あたりでようやく一人キャッチして、続いてもう一人を抜かすことができた。これで11位。後半戦としては一番累積標高があるこの区間を終えるまでに、いい順位につけることができた。
幸いまだ元気、ブーストは温存したまま笹ヶ峰に到着する。
笹ヶ峰グリーンハウス → 大橋林道 / 15km, 627D+
想定タイム / 2:25
通過タイム / 1:57
順位 / 11位(区間 4位)
笹ヶ峰エイドではちょっとしたトラブルがあった。いや、結構大きいトラブルかもしれない。
僕らのペースが速すぎてサポートクルーの家族が着いていない。当初は10時に笹ヶ峰にきてもらえば30分の余裕がある計算だったけど、僕らが10時前に着く可能性があったので黒姫のエイドで一報入れた。斑尾ホテルからここまでは峠道で1時間かかる。黒姫で電話した時点でギリギリだとは思ったけど、僕らの方が早く着いてしまった。
とりあえずトイレを済ませて、補給をする。本来、戸隠までの27kmを走るためのジェルを受け取るはずだった。FAPの効果を実感しているので補給はまだいいとして、せっかくここまで来てくれたのに、会えないのは残念だ。ここをすぎれば次に会えるのは戸隠。実質、レース中に会えるのは戸隠のみになってしまう。とは言え待つわけにもいかない。せっかくの11位、おまけに10位までとは30分離れてる。少しでも差を縮めたところだ。
結局、家族には悪いけどすぐに出発することにした。エイドで饅頭をもらってポケットにつめる。水も補充してすぐに出た。
コース断面図をみると、エイドから乙見湖に向かって、お椀をひっくり返したような地形になっている。実際、前半はそれなりの傾斜があり、歩きと走りを混ぜながら進む。
旧乙見湖エイドを抜けると、まっすぐとしたロードがあって、その先に階段が続く。登り切ると一旦急な下りがあって、すぐにまたトラバース状の作業道を登る。登り切ると使い古されたトロッコと線路がある。この短い区間、断面図でみると相当に変な形をしているが、実際に通ると地形を実感する。
その先には比較的走りやすいトレイルと、降った先に吊り橋がある。去年、渋滞を起こしたという橋がこれか。
そう言えば、去年は子どもを連れてナミネムさんの応援に来たな。笹ヶ峰エイドで待っていたら、選手が次々と入ってきた。野口奨太くん、Tomoさんら2番手グループから、山田たくやさん、ナミネムさんら15〜20位前後の選手。みんなそれなりにキツそうな顔つきだった。そこでみた志村ヒロキは驚いた。相当に疲れていて、いつDNFしても不思議じゃない表情だ。
賑やかなエイドの記憶があったけど、今年自分が通過した時はまだ静かで、ひとりニューハレの芥田さんだけがテンション高めだった。
話をレースに戻そう。分岐の誘導スタッフに会うたびに前との差を聞いた。20分という答えが返ってきたすぐ後に、だいたい25分という答えもあり、つまり差はあまり変わってないんだろう。足も重くなってきたので、この辺りからフォーメーションを変えてナミネムさんに前を走ってもらう。順位が硬直すると気持ちもしんどくなってくる。
西登山道入口のウォーターエイドはスルーしてパワーハイクでプッシュする。ポケットのジェルを注入してサクサク進む。登り切ってからの下りでギアをひとつあげる。ここは明確に覚えている。前との時間差に焦りはじめたところだ。残り30kmあるとは言え、一向に差が縮まる気配がなかったからだ。
この下りなら飛ばしてもダメージはないとみて、勢いをつけた。「ナミネムさん、まだ行ける」そんなことを伝えてスピードを上げてもらった。
林道を下りきるとエイドが見えた。ナミネムさんにフラスクを渡す。ひとつのフラスクにはコーラを1/3入れてもらってその場で飲む。残りのボトルに水を補充してもらい、受け取ると同時に空になったもう一つのボトルにも水を補充してもらう。その間、僕は酢飯を食べて、戸隠までの補給用としてポケットにつめる。こんな食べ方、レースじゃなきゃ絶対にしないよな。
映画のナポレオンダイナマイトで、ナポレオンがポケットからポテトフライ出しながら食べてたくらい異様だよ。
エイドのスタッフに穂坂24耐でご一緒した方がいた。前との差は20分だと教えてくれて、エールを送ってくれた。力が湧く。そして勢いのまま10位の選手を追う。
大橋林道 → 戸隠スキー場 / 12km, 376D+
想定タイム / 1:45
通過タイム / 1:35
順位 / 11位(区間 2位)
エイドと分岐のスタッフに会う時は疲れててもテンションを上げるようにしている、フーッ!とか裏声上げて盛り上げる。大会を支えてくれる精一杯のお礼として、その瞬間だけでも元気な姿を見せて、お互い楽しみたいからだ。それに答えてくれるスタッフがいると本当に嬉しい。普段の自分はそんな明るいキャラじゃないけれど、走ってる瞬間は自分の枠から自由になれるから気持ちがいい。
笹ヶ峰を出た時から10分くらいは差が縮まったとは言え、未だ20分の開きがある。前が誰かはわからないけれど、待っていても落ちては来ないことは感覚的にわかっていた。そして10位と9位は数分差とも聞いたので、前の選手はその前の選手を追いかけてることが想像ついた。まずいな、このままじゃ11位か。自分とすれば上出来な順位だけど、こんなチャンスは次にいつあるかわからない。ましてや初めての100マイル、奇跡はこの一回しかやってこない。
絶対に最後まで諦めない。そのためにここからは勝負をかける。ナミネムさんも同じ作戦のつもりのようで、一気にペースを上げはじめた。
「こっからは頭空っぽにしてオレについてこい!」頼れる兄貴の一言で、余計なこと考えずブーストをかけることに腹をくくる。
限りなくフラットなこの区間、出せる限りのスピードで進む。身体はキロ4くらいのペースで動き続けているけど、足元と視界はスローに流れていく。息があがることもなく、とにかく心地いい。ゾーンとも呼べるような瞬間。STSの仲間とご機嫌なダウンヒルをぶっ飛ばしてる、列になるようなあの一体感が続く。
戸隠神社近辺を抜けて、湖の外周にたどり着く。ここも去年自分が子どもを連れてナミネムさん・西くんを応援しに来た場所だ。
一瞬で通り過ぎる。車道を渡ってさらに進むと、エイドらしい建物が見えてきた。
身体は疲れているけど、意識は完全に冴えている。
エイドに入るとすぐに山屋さん夫婦がいる。そして、その先にいる僕の家族に呼びかけてくれる。ようやく会えた嬉しさとか安心感と、ここから勝負をかけようとするアドレナリンが交錯する。後で聞くと瞳孔が開いてたようで、だいぶおかしな状態だったと思う。
この間もコーラを1/3飲んでる間にナミネムさんには水を補充してもらう。
ジェルをカバンにつめる。
秘密兵器・ユーグレナスパートを2本注入する。これでゴールまでハンガーノックはないことを確信する。
飛ばした甲斐あって、前の選手とは5分差くらいまで詰めたようだ。おまけに手負いのようで、上手くいけば9位まではキャッチできるだろうと、興奮気味の山屋さんが言う。レース後に妻から聞いた話によると、この瞬間の自分が、UTMF2012で表彰台に登った時の山屋さん自身に重なったようで、嬉しかったとのことだった。
そんな事言われたら涙でるだろう。こっちは一緒にスタートできただけでも嬉しかったのに。ここは結果で応える以外にない。このチャンスは自分たちが貰っていく。自分が主役になるつもりで最後のセクションに挑む。
向こうからちゃんぷ。さんも激を入れにきてくれた。こういう時に仲間の応援は心底力になる。
「絶対表彰台にのぼるからーー!!!」って家族、仲間、そして応援してくれているエイドスタッフにも声を上げて勝負の瑪瑙山に向かう。
戸隠スキー場 → 飯綱山登山口 / 12km, 376D+
想定タイム / 2:00
通過タイム / 1:34
順位 / 8位(区間 4位)
身体は疲れていた、でも手応えはあった。 まだ限界ではない。
そしてここからゴールまで20kmは順位が変動することも知っている。
例えば今年のUTMF。Loren Newmanは二十曲峠を5位で入って、最終的には2位と30秒差の3位でフィニッシュした。例えば、去年の信越五岳。ここ戸隠からナミネムさんが抜けそうな前5人の選手を、ナミネムさん含め抜き去ったヒロキの追い上げがあった。一番順位が動くことは自分の目で見た経験からも、去年の信越のリザルトを読み込んだことからも、しっかりわかっていた。
大事なのは諦めないこと。最後まで全力で走り切ること。そして信じること。
レース自体の経験はないけれど、観て・考えて・紐解いた経験がここで活きてくる。
エイドを出てすぐにトレイルの登りに入る。緩やかな傾斜と森のように木が生い茂り、なかなか前の選手は見えない。意気込むナミネムさん。そして疲れが見え始めている自分の距離が徐々に開く。間違いなく、戸隠までの激走がここにきて疲労に変わっている。でもそんなこと言ってられない。願わくば、瑪瑙山の登りセクションの間に姿を前の選手の見たい。下りは勝負できるほど余裕がない。いざとなれば太腿崩壊の覚悟で突っ込むことはできるけど、その後の林道を考えるとリスクが大きい。
Stayed focused, Stay positive, Keep moving forward!
レース中に何度も唱えたマジックワードだ。
自分もLorenのように最後までファイティングポーズをとるんだ。
そうこうして、緩やかな傾斜が終わり、瑪瑙山の核心部に突入する。まだ山頂は見えないけれど、だいぶ傾斜がきつくなってきた。
その瞬間、ナミネムさんの右手が上がる。途中まで前を走っていた自分が散々やったモーションだ。つまり、前方にランナーがいるということ。目を凝らすと、まだ先だけど少しだけ姿が見えた。一瞬見えた後に、また見失った。まだ視界がひらけていないものの、前を行く選手がペースをあげようとしているようにも感じる。
ここからは我慢比べだ。幸い、山頂まではまだ距離がある。自分の余力を考えれば、このまま進む限り途中で追いつくことができる自信はあった。それでも今までにない緊張感を覚える。いよいよ表彰台が現実になるわけだ。このチャンスを掴み取れるのか。これまでにないほどの執着心が、一発勝負であることを改めて実感させる。
冷静になってジェルを1本注入する。ハムストリングを意識して、一歩ずつ進む。テンポよく、進むことだけを意識する。前の選手との差は少しずつ縮まる。そしていよいよ抜く瞬間がきた。上手く言葉にならないながら「頑張りましょう!」と一言だけ挨拶をする。これで10位。ついに10位。30分あった差をまくったのだ。
後方の選手が一瞬見えなくなったところで、声を殺しながら、でも激しくガッツポーズをした。そして先を意識する。レースはまだ終わっていない。
次第に、うねるような道が終わり、視界が開けて山頂に向かう一本道が見える。山頂手前にもうひとり、9位の選手が見える。見るからに手負いで、身体が左右に揺れている。変わらぬテンポで進んでいくと、山頂付近で捕らえることができた。恐らく、もう走る力は残ってないように見える。この瞬間、表彰台がより確実なものに感じた。
瑪瑙山の下りは慎重に下りる。4年前同様にほとんど歩くようなスピードで、膝のダメージを最小限に抑えようとするも、いよいよ筋肉系の痛みも感じ始めた。そこから飯綱のウォーターエイドまでは慎重に、ダメージを回避するようなスピードで進む。
途中、トラブルで走れていない選手を抜く。これで8位だ。思ってもいない順位までジャンプアップした。
ゴールで待っていてくれる家族、山屋さんは驚くだろうなと想像した。
飯綱山登山口 → ゴール / 8km, 189D+
想定タイム / 0:40
通過タイム / 0:37
順位 / 8位(区間 4位)
飯綱のエイドに高木さんがいることは知っていた。阿蘇ラウンドトレイルを開催しているユニバーサルフィールドの代表で、よく声をかけてくれる兄貴のような仲間だ。
そこまでの下りは高木さんに会うことを楽しみに進んだ。まさか自分が8番目の選手としてここに現れるなんて思っていないだろうな。驚くだろうな、と会うのが楽しみだった。
高木さんに会って少しだけ話しをする。そして写真をとる。よし行こうか、という時にさっき瑪瑙山の序盤で抜いたはずの選手が横に現れた。
横にいたナミネムさんの表情がかわり、すぐにエイドを経つ。なかなか楽させてくれないよな。最後の林道もバトル必須。でもその前にナミネムさんがスパートをかける。完全に自分の練習かよ!って突っ込みたくなるくらい早いスピードで飛ばす。飛ばしては後ろを警戒する。僕はナミネムさんについていくのが必死で、傾斜を見ては力を抜いたり、ペースを上げたりを繰り返す。
前回この区間を走った時は真っ暗だったからわからなかったけど、思っていたほど傾斜はない。本当に一部の区間だけ登りと下り基調になっていて、その他は走れる平坦な林道だったのだ。
永遠のような8km。想定の時間にして40分。登り基調が終わるまでは気が気じゃなかった。林道を登り終え、下りにはいってようやくナミネムさんに追いつく。
そこからは一歩一歩着地する足を確かめる。ザクッ、ザクッ、という林道特有の音がなり続ける。後ろから追ってくる気配はもうない。
いよいよ林道が終わる瞬間に二人の男性が傍らに立って応援している。てっきり分岐の誘導スタッフだと思って、挨拶を済ませる。ゴール後に知ったのだが、あれは友人のヨシオくんだった。そう言えば彼とあったのはちょうど5年前のこの季節。僕がはじめてウルトラを走ることになった上州武尊で終始同じペースだったのだ。薄いinov8のシューズを履いて快走していて印象的だった。フィーリングも合って、その後も親交のあるランナーだ。そんな縁ある友に最後の瞬間を祝福してもらえたことがまた嬉しかった。ゴール後に自分のことのように喜んでた顔が忘れられない。
林道を追えて、うっすらと視界が開けた。暗がりではわからなかったけど、下り基調の区間は意外と短く、ゴールを知らせる旗が続いている。
「あぁ、終わった」という安堵よりも、「もう終わってしまう」ような寂しい気持ちの方が圧倒的に強かった。永遠に走っていたい気持ちだった。振り返ること今年の5月、この日の、この瞬間のためにはじめたトレーニングもここで完全に終わるのだ。
結果的に8位でゴールできるという喜びよりも、ただただ、トレーニング含めて走り切ることができたことへの充足感が強かった。
そして大橋林道からのセッションを経て、今に至るナミネムさんと共有した記憶もここがピリオドになる。
なんて言ったかあんまり覚えていない。たしか「ナミネムさん、ありがとう!一緒に走れて本当に良かった」そんな気持ちを伝えたかったことははっきり記憶している。声も震えて、うっすら涙もでてる。呼応するようにナミネムさんも声を震わせながら何か言っていたけどはっきり聞き取れなかった。でも、そんなことはどうでもいい。もはや言葉じゃないものをここまで走った時間で記憶している。
なんなら、はじめて出会った2013年の秋、大山セッションから今日に至る日々が瞬間瞬間にかけめぐる。
辛いこともあったけど、それでも僕らは走り続けている。そんなことをナミネムさんと体現できて本当に嬉しかった。言葉にならない。
ラスト50mかな、ゴールゲートが正面に見える。花道のような芝生がゴールまで続く。
すぐ右に奥さんと子どもがいる。近づいてくる子どもを抱える。横で写真を撮ってくれている奥さんを手招きする。ゴールゲートに続く最後の5mは相棒のナミネムさん、そして奥さん、子どもの4人で肩を組む。
記録 21:17:21 総合8位でのフィニッシュ
散々トレーニングそのものを頑張ってきたと言ったけど、結局ゴールして思うのは「ゴールそのもの」を最高のかたち、充足感で迎えるために積み上げてきた、ということ。
この写真をみて、それを実感する。
2012年に第一回のUTMFをみて、走り始めた。ヤマケンさんのように家族を連れてゴールしたい。そんな気分を自分自身味わいたいし、家族も喜んでくれると思ってはじめたこのスポーツ。
結局、スタートラインに経つまでに7年かかった。そしてゴールするまでも7年かかった。そのときにはこれだけたくさんの仲間がいるなんて想像もしていなかった。
ゴールして周りを見れば終始応援してくれた山屋さんがいる。トレーニング中から気にかけて、一緒にトレーニングしてくれて、アドバイスを多くくれたTomoさんもいる。Podcast越しにエピソードを聞いていた田中さんも祝福してくれている。
不思議な気分だ。
4年前にペーサーをしてくれたちひろさんはわざわざ栃木から応援にきてくれた。僕らの到着があまりに早すぎて、ゴールシーンには間に合わなかったけど、自分のことのように喜んでくれた。
9/14、それは僕らSTSにとって特別な一日。毎年、信越五岳になるとソワソワする。
はたして、僕ら生きている人間にとって、生きるとは何を意味するんでしょうか。せいぜい、感情の記憶を積み上げることなんじゃないでしょうか。そのために走るし、仲間と笑う。練習で息が切れる辛さを味わえば、終わった後のビールで汗と疲労を流す。
でも、もうひとつ。生きている人間だからこそできることがあれば、もうお別れをしてしまった人間の魂とか、イズムを繋ぎ続けることなんじゃないでしょうか。
肉体は動きを止めても、魂はカタチを変え、熱を帯び、誰かが発した刺激が別の誰かにループする。その刺激の中に刻まれる魂は刺激が続く限り生き続ける。
僕は自分の記憶を飛び越えるために今回ここにやってきた。結果的に大きく飛び越えて、限界を引き上げることができた。
そしてその先に、この僕の記憶が別の誰かの興奮とか、刺激に結びつくなら、その中に僕が、僕たちが大事にしていた魂は生き続けるはずなのである!
最後の最後で本題からそれてしまったけど、この4ヶ月と21時間17分21秒。
間違いなく、オレは最高だった!
そしてこの先のオレに伝えたいこと。
それは、
「ベストは来てない、まだこれから」