SUPER TRAIL SESSION
今年一年を振り返る上で語らずにはいられないことがある。
僕が所属するSUPER TRAIL SESSIONについて。
かれこれ6年前、2013年の11月だった。
その年の春に大会で何度か顔を合わせるようになってから、イベントがあればお誘いしてくれることの多かった稲葉さんが「大山で走るからこないか?」と連絡をくれた。
当時の僕は山を走り始めて1年くらいの時期。ほとんど一人で走っていて、グループランとは無縁だっただけに、嬉しさと緊張と入り交じるような気持ちもありながら、とにかく当日が楽しみで仕方なかった。
TNF Flight Tokyoの立ち上げで大阪から東京に引っ越してきた塩見くんを関東トレイルに案内してあげることがその日の命題。
Salomonの大瀬さんがその頃は鶴巻温泉駅付近に住んでいたので、大山を走ることに決まっていた。
声がけ役の番長・稲葉さん、当時はTEAM TARZANとして活躍し始めていた大瀬さん、ゲストでTNF店長の塩見くん、そしてBlogを拝見していたのでその存在はしっていたチームすぽるちばのナミネムさん、そこに君誰?って感じで混ざったのが自分だった。
今思い返しても、統一感のない5人で、特に僕なんて塩見くんとナミネムさんは初見で、もっかい言うけど君誰?って感じだった。最初は自己紹介しながらゆっくり走っていたものの、だんだん大瀬さんのエンジンがかかってきて、付いていくのが必死だった。ハイペースな中にも一体感があって、これから何かがはじまりそうな予感が漂った一日だった。
それがSUPER TRAIL SESSIONがはじまった日のこと。
またセッションするから来いよ!って2回3回と続けて誘ってもらっているうちにメインメンバーとなり、そこに新たに参加した仲間が加わり、年齢も、性別も、レースカテゴリーからフィジカルレベルまで違う不思議な、でもどこか統一感のある集団へとなっていった。
2000年代後半から2010年代半ばまでは、トレイルランニングチームが多くあったことを覚えている。
トレイルランニング明瞭期というタイミングで、おそろいのユニフォームを着たり、チームフラッグを掲げたりと、ここ最近とはまた違った楽しみ方をしていた。
(最近はチームというよりランニングクラブの方が多いのかな?)
各々のチームカラーがはっきりしていただけに、個人よりもチームが目立つ印象があって、チームメンバーで練習をしていることが多かったように記憶している。
個人で目立つ人と言えば、今と同じくブランドに所属するアスリートで、レベルの差もあって今ほどファンランナーとは接点の少ない、孤高の存在のように感じていた。
そんな中、STSが新鮮だったのはチームではなく、コミュニティでありセッション集団であったことだ。
セッションに参加するメンバー各々にはメインで所属するチームやブランドがある。
トレイルランニングに対する付き合い方もプロ志向から、ファンラン、メディアなど様々だ。
それでも、そういった垣根は超えて、たまには集まって面白いことしようぜ!というシンプルなメッセージがあって、その中心にいたのが稲葉さんだ。
みんな稲葉さんのことが大好きで、尊敬していて、ただただ一緒にいる時間が楽しくて、時にはゲストも呼んで自由にトレイルを走った。
残念ながら稲葉さんはSTSが動き出した翌年となる2014年9月に登山中の事故でこの世を去ってしまった。
STSというものすごく熱い生き物と、イズムだけを残して、風のように駆けて行った。
その意志を引き継ぐかたちで、以来自分がSTSのリーダーをやっている。
とは言えSTSは稲葉さんという存在がアイデンティティであり、そういう意味で生き続けている。
自分自身はリーダーというよりも管理人のようなつもりでいる。
このコミュニティが生き続けること。言葉ではなくスタイルとしてイズムを語り継ぐこと。願わくば、僕らで終わることなく、次の仲間にもイズムを伝播させていくこと。こんな気持を大切にしていた。
実際には簡単じゃない。走っていれば伝わるのか?セッションをしていれば生き続けるのか?SNSに想いをのせれば広がるのか?
否、そういうことじゃないんだな。
でもうまく言葉で言い表せない。それがもどかしい。
管理人意識でいてもやっぱりリーダーであることにはかわりない。
特段、選手として速いわけでもなく、目立ったリザルトがあるわけでもない。ましてや、ライフステージがかわって当時ほどトレイルランニングに打ち込む時間もなければ、計画的にセッションをできる余裕もなくなってしまった。
ここ数年は八方塞がりのような、自分にとっては難しい時期だった。
突き動かされたのは2018年のハセツネ。
DogsorCaravan.comの速報クルーとしてゴールでトップ選手を待ち構えていた。
1位、2位、3位と、その年の主役が次々にゴールし、間髪あけずに入賞者も決まっていく。トップ10まで決まったそのすぐ後、自分の想像を遥かに上回るタイムで友人がゴールしたのだ。
思わず立ち上がって、興奮したままタッチしたことを鮮明に覚えている。
忙しく仕事をして、子育てもフルコミットして、その中で日々練習をしていることをしっていただけに、この結果に対するリスペクトと、同時に「言い訳してるんじゃないよ!」って自分自身に対して刺さるものがあった。
ようやく気持ちが切り替わって、「持っている時間の中でやれることをやる」と決心がついた。
そこから現在については割愛!
いよいよ本題です。
およそ4年ぶりくらいにトレイルランニングに熱くなった一年だった。
その熱量はこれまでで一番高くなっている。
はじめて山をはしった衝動とも違う、大会に出始めた頃の瞬間的な興奮とも違う。じっくりと薪を焚べるようにやわらかく長い。燃やし続ける限り、途絶えることはない、そんな気持ちだ。
信越五岳にむけてトレーニングを続けていた夏の日、仲間のリザルトで次々に沸いた。
スカイレース、UTMB、OCC、TDS、Tor des glaciers、全員がベストを尽くした。そして、優勝、入賞という驚きの結果を残していく。
興奮した、嬉しかった、そして自分もいくらかでもみんなに近づきたいと思った。
それはリザルトというよりも、やり切れたという自信を求めていたんだと思う。
とにかく、仲間の結果に力をもらい、同じコミュニティの仲間でいることがこれほど心強い年ははじめてだった。
そしてこの夏、自分なりに全力を尽くすことができた。
ようやく、スタートラインに立てたという実感と、トレイルランニングという愛してやまないアクティビティに帰ってこれたという想いで満ちた。
たぶんこれは僕だけの悩みや問題じゃない。
うまく行ってることもある、足踏みが続く時期もある。
積み上げられている時期もあれば、怪我で振り出しに戻ることもある。
ライフステージはかわる。
家族との関係性もかわる。子育てがあれば介護もある。
繁忙期があれば転職もあるし、休職だってあるかもしれない。
それでも走っていることが好きだ。
山にいる時間はかけがえのないものだ。
ましてや、仲間とセッションができるなんて最高じゃないか。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、僕は運良く帰ってこれた。
家族の理解、職場の環境があってこそだったと、振り返ると実感する。
そして帰る場所があったことが何よりも大きかった。
またSTSの仲間と走りたいし、みんなに近づきたいと強く思った。
STSって何だ? スタイルって何だ?
誰に対して、何のために存在感を示す必要がある?
それが望んでたものなのか?たぶん違うね。
いや、違わないかもしれない。
今となってはそんな聞こえのいい答えはどうでもいい。
たぶん、他の仲間にとって帰る場所として、あるいは休息地として、存在し続けること。それだけで十分なんじゃないかと思っている。
それが、これだけ多様性に富んだコミュニティの存在意義であり、核の部分なんじゃないかと。
思うようにいかなくて落ち込んでいた時期に稲葉さんが声をかけてくれた言葉を、今でも覚えている。
「俺たちは仲間なんだから、また楽しく走ろうぜ!」
ホント、それだけで十分なんだよな。
そういう場所があるだけで救われることもある。
みんな強いから心配してないけどさ、もしも仲間の誰かが疲れていたとしても、いつか走り出すきっかけになるように、そのためだけにSUPER TRAIL SESSIONというコミュニティが存在していれば、それだけで十分価値あるものなんじゃないですか。
どう思います?
2019年を締めくくる言葉があるとすれば、「ただいま」でしょうか。