実践しています。

up and ups just fine

長期的な目標

f:id:tomoyayazaki:20191005231643p:plain

信越五岳フォトギャラリーから拝借

 

レースも終わって次の目標設定は何にしようかと日々考えている。

来年のUTMFにエントリーしようかと悩んで、誰かのポストに刺激を受けては「やったるぜ!」って気持ちになったり、冷静になって「来年は見送ろう」と考え直したり。

はたまた、来年の信越はもっといい順位を狙いたいと欲がでたり、KOUMI100もいいなぁとか、どうせ当たらないしノリでWestern Statesにエントリーしようかと考えたり。

けっこうとっちらかっている。

 

とりあえず立てた目標は「フルマラソンで2:50をきること」です。

でも正直、2:55でも2:45でもどっちでもいいと思っている。そもそもがタイムに対する執着心があるわけではない。もちろん、記録が速いほどすごいことは間違いないけど、数字そのものが意味するものはあまりないと思っている。

むしろ、数字にはならない感情の揺らぎを楽しみたい。越えられるか、越えられないか、ぎりぎりの目標設定にむかって進みたい。その過程そのものを楽しみたい。仮設を立てて、実践して、検証するサイクルもそのひとつだ。

別に数字をクリアしたからって稼ぎがあがるわけじゃない。だからこそ、純粋に感情を大切にしたい。でもそのために感情を数値化してみる。そうすると抽象的な目標に対しても、目指す過程で迷子になりづらいと思っている。

というわけで次の目標は2:50なのです。

 

 

ちょうど、TOMOさんがRBRGのアスリートブログで「長期的にものごとを見る」ことについてポストしていた。

rb-rg.jp

長期的なプランを決めたなら、やり通すことはとても大事です。

僕の中期的な夢は100マイルを100回完走すること。今は42歳なので、残り8年、自分が50歳の時に夢が叶う予定です。長期的な夢は90歳になったときに100マイルレースのスタート地点に立っていること、そして完走をすること。今は生まれてもいない若い子達や、今いるトレラン仲間らと一緒にスタートラインに立って100マイルの楽しさについて、あーでもない、こーでもない、と話していたい。

 

「100マイルを100回走る」ことが長期的な目標だと思っていたけど、これは中期的な目標のようです。折り返し地点がすぎたから設定が修正されたのか、走ってきた中でさらに先の景色が見えたからなのか、いつか聞いてみたい。

 

さて、自分の話に戻りましょうか。

自分の長期的な目標はなんだろうか。

明確に言葉にできること、それは「いつかUTMFで表彰台にのぼりたい」ということ。

 

これは信越が終わってから、沸々と湧き出てくる感情なのである。聴き込んだPodcastのエピソードで「夢は叶う」というセオリーがあった。たしかジャキさんたちとTKK100を走った時のエピソードだったはず。そのセオリーで、「例えば、いつか信越五岳の表彰台にのぼりたいと思ったら、それは叶うんです」というようなことを言っていた。

これにははっとした。なぜならそんなこと考えても見なかったからだ。運良く初挑戦でのぼれたものの、このエピソードを聞くまで、表彰台ははるか向こう側だと思っていたし、目指す目標という意識すらなかった。でも目指してもいいんだと気づけたことは新鮮な発見だった。

 

改めて言うが順位やタイムのためにやってる訳じゃない。感情を爆発させたいし、記憶を更新していきたい。これが一番やっていて楽しいこと。

いま、自分が想像できる一番高い目標で、一番わくわくが止まらないことを考えたら、それはUTMFで表彰台にのぼることだ。それが5年後なのか、10年後なのか、はたまた叶わぬ夢かはわからない。でも目指すと決めた。

 

 

それが決まると短期的な目標はあっさりとあぶり出される。ここからはマネジメントと日々の積み上げの話なのだ。自分のウィークポイントをストロングポイントに変えていく努力をする。

今の自分には確実にスピードがない。特にフルマラソンを走れる身体ではない。まずはここから変えていく。もうちょっと細かく期分けするとハーフマラソン、そして5000mのタイムを上げていく必要がある。5000mであれば17:30を目標にする。

週に1回ポイントでインターバルを取り入れながら、通勤の15kmはマフェトンでペースを管理する。この方法が身体にどう影響するのか見ていきたい。

特に、MAFのアベレージペースが上がる方向に行くのか、怪我のリスクが高まるのか、このあたりを見極めたい。

週の目標トレーニング時間は7時間に減らすけど、強度は上がるので、その関係性がどうなるのか。

長期的な目標に向かって、日々の実践はつづくのである。