実践しています。

up and ups just fine

父親視点の育児、次世代のための育児

f:id:tomoyayazaki:20211013212930j:image

保育園で会うお父さん方と話をしていると、男性の育児・家事への自分ごと化は一昔まえよりもずいぶんと進んでいると思う。保育園の送り迎え(おもに朝の送迎)を日課としていたり、自分同様に掃除や洗濯など片付け業務を担当している方が多くいる。お迎えの担当や、日々晩御飯を作っている方には今まで会ったことはないけれど、家事全般が女性の仕事という価値観は、少なくとも同世代の男性陣から感じることはほとんどなくなった。

まぁ、それ当たり前の話ですけどね。

本来、夫婦にとって二人の子どもなんだから、50-50が健全なかたちだと思っている。送り迎えをしているだけで、育児への参画と語るのは自分の感覚としては恥ずかしすぎて気が引ける。業務の分担としてきっちりと半々であるべきという話ではなく、”機会”として半々である状態を目指すのが理想だと思っている。例えば、保育園は毎朝、父親が送迎、母親は夕方のお迎え。これは業務区分としては同じでも、”機会”としては不公平じゃないか。母親は帰ってから家事・育児が続く傍ら、男性は寄り道をする選択肢をもっている。共働きであれば、残業を含めて職場や同僚との調整が必要なのは同じ条件。それを女性側だけにさせているのは申し訳ないと思っている。そんな我が家も当初はこんな感じだったところから、最近では僕が週3の保育園送迎と、週2のお迎えプラス晩御飯を担当している。それでやっている気になるからよく喧嘩になっていた。育休中にあれこれしていると、目に見えない家事が多いことを知って、これまでの態度に反省したわけだ。

世間一般で言う平均値ってものがあったなら、自分がどこに位置するかはさて置き、個人としても社会としてももっと理解を高めないと女性の社会進出ってのは建前にしかならないと実感する。”公平性”について男性側が意識を改めないと、制度だけ生まれて運用されずに片隅に追いやられるんだろう。

 

制度があるからこそ生まれる機会があることも事実で、はじめはゆっくりでも転がりだしたボールは弾みをつけて進んでいくこともある。北欧諸国がジェンダーイクオリティの先進国であることは説明不要なわけだけど、例えばノルウェーで言えばクオーター制(公的委員会・審議会は4名以上で構成される場合、一方の性 が 全体の40%を下回ってはならない)が義務化されている。性別じゃなく実力で登用すべきという意見はよく耳にするけど、これは制度設計やら社会背景を含めた整備が済んでから発する意見であるべきだと思っている。自分は、法律によってフレームを整備して、その上で意識や慣習をふくめたアファーマティブアクションが必要だと考えている。それだけ、法律の強制力は強い。

 

なんだか本題から逸れてきたので父親視点の育児に戻ろう。

理想としては50-50でありたいし、自分としては目指している。それは育児休業を取るというのもひとつの態度というつもりだった。妻は(希望もあって)年度内の育休をとっているので、現実的にはフィフティ・フィフティではないんだけど、可能な限り取得することは今回の挑戦だった。まず、今回は二人目ということで、一人目のケアをどうする問題があった。出産直後の妻が二人の面倒をみることは不可能だったので、そこに自分が関わるということ。次に、我が家は両親が遠方で、かつコロナ禍で助っ人がいないことが見えていたから、自立した育児をせざる負えなかった。もうひとつは家族全員で感染リスクを下げることが絶対だった。それは当然いのちに関わるから。出産予定日が近づき、具体的な計画を立てていくと育休は必須としか言えなかった。

同僚の協力があって、期間中は家族にとって穏やかな時間になった。育休経験者になって思うことは必須か不要かに関わらず、制度として義務にすべきだと思う。何ものにも代えがたい尊さがあるからであり、家族にとって必要不可欠な時間だと身にしみたからだ。日々一緒にいることで乳児の成長のはやさを実感する。この一瞬が現在進行系で失われて、現在進行系で成長している様子を肌で感じる。もちろん、人によって様々だという意見は理解するし、現制度では経済的なマイナスが生じるのですべての人が喜んで取得できるとは限らない。だからこそ、制度を整える必要がある。少なくても、個々の事情や環境で、取りたくても我慢しなくちゃいけない人のセーフティネットは強化すべきだ。

「育休取れていい会社ですね」と、おもに年上の男性から言われた。ほぼすべての方に言われた中で、ひとり同世代の男性からは「2ヶ月じゃ足りないですよね!」と言われて気持ちが楽になったことがある。ホントにそうなんですよ、わかりますよね。先輩男性陣からの言葉にはどこか、育児は女性が担うものという認識が見え隠れする。その時代はそれがベターだったのかもしれない。でも今は違う、そしてこれからは更に変わる。

言葉にすると高尚に聞こえるけど、態度で示したいことがあった。それは制度を利用することで、制度を肯定すること。現在の自分の選択が、未来のお父さん・或いはお母さんになる人の支えになること。

これから父親、或いは母親になる世代に対して、経験者として語りたいし、背中を押したいと思っている。育休が当たり前の制度になっていて欲しいし、それは現役世代の自分たちがとるべきアクションだと思っている。

育児に限らず、年配世代に対してサンキューブーマーという思いを一部で懐きつつ、自分自身がブーマーにならないように、最近は意識的に下の世代のことも考えている。

育児・家事のあれこれ

f:id:tomoyayazaki:20210926112117j:plain

 

今年の夏は雨の日が多かった。梅雨が長く、その間はずっと雨。洗濯物を外に干すことができず、せっかくベランダがある広い家に越したのに、乾燥機と部屋干し続きだった。梅雨があけても雨が続いて、たまに晴れたと思ったら蒸し暑く、そしてまた雨に戻る。そんな夏だった。いま住んでいる高尾は、東京都ながらマイクロクライメイトを肌で感じる地域だ。僕が山側に住んでいることもあり、真夏の日中は暑くても日が沈むと涼しくなり、夜は肌寒い日もあるくらいだ。この夏、エアコンをつけて寝たのは3回くらい。それも、途中で消さないと寒くて夏風邪を引きそうになる。山間のせいか、湿気が多くてカビには細心の注意を払わないとすぐに匂いが漂う。そこが難点だけど、東京の蒸し暑さを回避できるという意味では良い場所だ。

ただし、どこもかしこも同じ気候じゃないところが面白い。駅方向に500mも進むと、ある場所を境に暑さが強くなる。さらに、狭間や西八王子方向だとまた違った気候なんだろう。京王線高尾駅ホームから山間部を眺めると、朝は靄がかかっている。あの蒸気がそのまま我が家を包んでいると想像すると、この涼しさとカビの発生にも納得する。

 

今年は夏のすべてを家で過ごした。文字通りにすべて、一日のたいはんを、週のたいはんを、一ヶ月のすべてを家で過ごした。2ヶ月の育児休業を取得して、毎日が育児・家事に専念したから、外出する必要がなかった。結果から言えば、取得して良かったの一言。毎日、四六時中一緒にいられることで、乳幼児の成長のはやさを実感した。産まれた瞬間にあった繊細さや脆さも、1ヶ月もすると肉体から意思を感じ、2ヶ月立つ頃には反応もするようになってくる。一人目の時は里帰りだったのでほとんど一緒にいなかったから、この変化を今回はじめて目の当たりにした。泣き出せた呼ばれたような気がしてすぐに向かって抱く。寝ているあいだは眺めているだけで穏やかな気持になる。だんだんと反応するようになって、声を聞くだけで会話をしているつもりになる。

一週間を過ぎた頃から吐き戻しが多くなり、一日中抱いていないと心配な時期があった。僕がソファに寝そべり、子どもをうつ伏せにして胸元で抱いていると勝手に寝ることが多かった。寝息が間近で聞こえるその瞬間は、自分の人生にとってもこれが最後になるんだろうなと思いながら過ごした。夜中も眠れない日が続いた。寝たと思ってそっと布団におくとすぐに目が覚める。具合良く布団で寝ていても吐かないか心配で自分は眠れない。結局、隣に布団を敷いて、寝ている子どもを眺めながら本を読んで過ごした。

 

前々から料理を作ることは好きだけど、偏食気味の自分はパスタばっかり作る。スパゲティー、フスィリ、ファルファーレ、コンキリエリガーテ、ペンネと何でも使う。パスタにあったソースと、相性のいい具材を選ぶ。具材そのものがソースになるように、野菜の切り方はその時々で工夫する。週に1回の料理であれば家族も喜んでくれたけど、毎日パスタは勘弁して欲しいと言われいたので、育休中は意識的に家庭料理を作った。

新居がガスコンロなので、前の家では使えなかった無水鍋を取り出して、ご飯を炊いた。炊飯器で炊くよりも硬さがあって気に入った。さつまいもや枝豆を入れるだけでバリエーションが増えるのも楽しみのひとつだった。近所のスーパーで1週間分の野菜と、数日分の生鮮食品を買い込む。買い物をした初日は魚、二日目は肉と、週単位で献立を考えるのも楽しい。ストックのすべてを把握していると、スケジューリングもしやすい。同時に、無意識的な家事は多いことに気づく。調味料の残量、冷蔵庫の中を把握して、何をいつ買うか考える。掃除機をかけたり、洗濯を干すようなアクションはないけど、カウントされない家事の大変さを当事者になって理解する。

 

長女の保育園は毎日送り迎えをした。引越し、出産とイベントが続いて彼女も難しい時期を過ごした。特に、長く通っていた大好きな保育園を離れて、新しい環境に馴染むまでは苦労した。子どもはすぐに慣れると言うけど、当然それぞれのペースがある。親として眺めていても、同じ認可保育園でも特徴が違うことがよくわかる。以前通っていた園は子どものやりたいことを優先させる。迎えに行くと、おもちゃで遊んでいる子もいれば、ひとりで絵を描いている子もいる。年配の先生と工作をしている子もいて、自分の子どもも勝手に手先が器用になっていった。学習させる意図は感じず、良い意味で預かっているだけとうい姿勢は安心感があった。新しい園はプレスクールという意味合いが強く、集団生活や規則を重視している。遊び方、遊ぶものをみても同じようで違いがある。

毎日通っているとママ友が多くできた。立ち話をしたり、小学校にむけた情報収集をしている。みなさん気さくでラフなところは土地柄なんだろうか。スーツの人、忙しない人をあまり見かけない。同じ時期に転入したファミリーと仲良くなって、週末に川まで散策に行く日があった。親同士、子同士、ゆっくり話したり、はしゃいだりといい時間だった。

帰り道に初沢山に登る日もあった。遠回りをしたり、まっすぐ山頂にのぼって、下りは二人で駆け下りる。身体の使い方を褒めると嬉しそうで、また明日も行くと言う。子どもが早起きした日は少し離れた公園まで車でいって遊んだり、雨が降る朝はレインウェアを着て散歩をした。育休だからこそできる、日常のなかの幸せを満喫した。

Hello world

f:id:tomoyayazaki:20210922233418j:plain

 

この夏、無事に元気な男の子が産まれた。

我が家にとっては2021年のメインイベントであり、新生活のスタートラインである。父側の視点で振り返ると、今回が二人目なので気負うことなく当日まで落ち着いていたつもりだ。とにかく、やるべきことはたったひとつでウィルスに感染しないこと。外出は必要最低限、食事や旅行に行くこともなく、粛々と過ごしてきた。当初通院してた病院でクラスターが発生し転院、次の病院は引越しで遠くなってしまうので再転院。2回の転院、出産前の引越し、長女の保育園転園と、環境が変わって負担をかけることになったけど、新しい家族を迎え入れる前にするべき準備はなんとか間に合った。

それはあくまで男性視点であって、日々のトレーニング、大会の中止・他の大会へのエントリー、転院、引越しと目まぐるしく環境がかわった妊娠中の妻にとってはたまったもんじゃなかっただろう。日々、自分の身体が変化していく女性にとっては”現在”がすべてだと思うし、予定日からの逆算しかできない男性にとっては”未来”に対しての準備が仕事という感覚だった。

さいわい、一人だけという条件付きで立ち会い出産ができる病院で、当日は一緒に新しい命が誕生する瞬間を目にすることができた。深夜、携帯に電話がかかってきて、「そろそろ産まれるのですぐに来てください」と告げられ、車で20分かかる病院まですぐに向かった。着いて一旦病室で待機するも、なかなか呼ばれない。「もう少しかかるので寝てていいですよ」と助産師に言われて妻のベットで一眠りする。1時間くらい過ぎたころに、呼び出しがかかりいよいよ分娩室前で待機。そこから5分で入室許可が出て、入ったと同時に産まれた。深夜のクリニックに、産まれたて赤ちゃん特有の泣き声が響いて、安堵と同時に父親になった実感がわいてくる。妻の顔色も良く、まずは母子ともに無事であることに安心した。赤ちゃんはすぐに新生児用ベッドに移されて、自分は窓越しに顔を眺める。ついさっきまでいたお腹の中と、いまいる世界じゃ感覚は違うのかな。

一人目の子どもとはまた違った、喜びとどことなく浮遊したような心境で、真っ暗な夜道を運転して家まで帰る。

帰宅して仮眠をとって、いつもどおりの時間にあえて起きた。今はまだ3人家族のような気分で、母子が帰ってきたら新しい家族としての本番がはじまる。これからお姉さんになる長女と、サポートに来てくれた母へのリフレッシュのつもりで、その日は思いつきで甲府に行くことにした。好きなカフェでブレイクしてから武田神社でお参り。その後、温泉に入って帰宅。数年後、もしくは十数年後、この日のことを各々どんな記憶をもっているのかな。産まれた瞬間の泣き声と、帰りの車で聴いていたTyler The Creatorの曲のことは自分の耳に残っているんだろうか。